女しか使えない文字


 一昨年、中国の湖南省を旅しているときにある深山の古潭に数日ほど滞在していた。友人の結婚式に参加する為だ。
 中国で最も貧しい地域であり、外国人の訪問も滅多にないような場所であるだけに歓待され、私の拙い中国語にも拘わらず興味を以て話を聞いて貰い、また多くのことを教えて貰った。
https://datchang.hatenablog.com/entry/2019/02/05/095446

 そこに長老のような老婆がおり、日本の大男子主義(亭主関白、男尊女卑)の一方、中国には「女書」というものがあるんだよ、という話をしてくれた。
 女書とは、中国の湖南省を中心とした僅かな地域において女性のみが使用することのできた文字のことである。中国語の発声法においてはnvshuといい日本語にない発声をする為、便宜上「にょしょ」と読む。
 存在自体は少なく見積もっても数百年以前からあるとみられているものの、学問的には辛亥革命から数十年してやっとその存在が"発見され"、未だ研究対象として若い分野である。今では使用可能な者も少ないけれど、老婆は少し書くことができるのだという。目前でペンを走らせ何やら書いてくれたけれど、私には文字として認識できない形状をしていた。


 かつて中国では同姓同士の結婚は忌避されていた。中国人の姓は、基本的に土地と紐づいている。例えば一昨年私が訪問した龍漂鎮の元来の住民の姓は「呉」であり、呉姓を祀る霊廟さえ存在する。
 つまり同姓同士と結婚しないということは、別の村へ嫁ぐということである。
 中国はその広大な土地ゆえに、村と村の距離が基本的に遠い。今でこそ車で数時間の距離でも、舗装されない道を歩いていた時代には数日がかりだ。
 すると村民の人生は必然的に村の中で完結するのが基本となる。それが何世代も経ると、いわゆる「血が濃くなる」という現象が起こり、障碍児や虚弱児が生れやすくなる。
 そこで「同姓同士で結婚しない」(女は別の村の男の家に嫁ぐ)という知恵が生れた。血の近親相姦を避け次世代を守る為の仕組みだ。

 しかし他所の村へ嫁いだ女の運命は、決して明るいものではない。
 女は子供を産む為の道具であり、安くコキ使うことのできる労働力だ。親しい誰かに助けを求めることも、村外へ逃げることも基本的にはできはしない(纏足が推奨されていた時代でもある)。
 抵抗できない他人に対して、とことん残酷になることができるのが人である。 粗末な食事と苛酷な労働、そして日常的な心身への虐待、そんなことはザラだったという。それでも耐えなければ生きられない。

 そして女達の絶望が、女書を生んだ。
 言葉は感情を解体する。特に、悲しみや怒りといった負のものにおいて。
 紙という外部媒体に今日あった辛いことを書き出し一旦頭の中を空にすることで心の痛みを反芻せずに済む。
 女同士で書簡を交わし、庇い合い励まし合い、そして共感することでささやかな発散と抵抗を試みた日々があった。女書で気持ちを吐き出す時間だけが、希望のように女たちの心を満たしていた。

 それは今こうしてnoteを書く私と何ら変わらない。言葉は心を持った人間の希望の光だ。それでも女書は、女達にとって「思い出したくない悲しい歴史」を物語る。
 湖南省の伝統的な結婚式は、花嫁の実家に数日のあいだ泊り込み、血縁者だけでなく友人たちとも広義の家族としての絆を確認し合い、花嫁を花婿の家に送り出す。母は花嫁として嫁ぐ娘の行く末を知っている。だからあんなにも濃厚に絆を確認し合っていたのだ、と合点した。
 長沙の偉い学者が女書について聞きにわざわざ調べに来たけれど、老婆は協力を渋ったという。

「女書はもう要らないんだよ。良い時代だね。あの大男子主義の日本人の男が、はるばるこんな山奥にあの娘の祝福にやってくるなんて。きっと未来はもっともっと良くなるんだね」
 私は「そうですね」、と応えた。
 近所の子供と遊ぶ赤い伝統衣装を来た妊婦の花嫁が、笑顔で私を手招きしていた。