海原の月になりたい
クラゲを見たいと思った。
先日、池袋サンシャイン水族館に行くとコロナウイルスの影響で休館となっており、5年前に引き続きまたしても入館し損ねてしまった。本当についてない。せっかく会社を休んだことも無駄になってしまった。
といって行く当てもなく、薄暗い水族館の入口のスペースを歩いた。普段はチケットを買い求める人波に埋まっているはずの場所に人がいない。違う知らない世界に迷い込んでしまったような、不思議な感覚がした。BGMもアナウンスも騒めきもない冷たい静寂のなか、どこか遠くを駆け回る子どもの笑う声が施設に反響して聞こえてきた。それがまるでこの世の者ではないように思え、隙間から入り込む春風がかえって薄ら寒く感じた。
私はいつも大事なことを間違える。タイミングも言葉も行動も、正しいと確信したことも、後からどうしても迷ってしまう。それがこと、取り返しのつかないことに限って。
だから大抵において、私は歓迎されない客なんだ。そんな判り切ったことをいまさら思い知ったように感じ、心の底がツンと痛むのを感じた。
*
H子と知り合って間もないとき、私たちは千葉県にある鴨川シーワールドへデートに出かけることにした。そのときは未だ、異性として関係を築こうとしていた。
当時、H子の住んでいた埼玉県・戸田公園駅近くのレンタカー屋で手頃な普通車を借り、彼女を拾い高速に乗った。
都心住みとはいえ、頻繁に運転するわけではないし、ましてや高速の構造なんてよく分かっていない。中央環状線の複雑な分岐を慎重に選び取っていく、針の穴に糸を通すような運転だ。H子に無能な男だと思われるわけにはいかない。
そんなことを知ってか知らずか、助手席でH子がその週あったことをのべつまくなく延々と喋りかけて来る。
コイツ、おれの相槌が生返事なのに気付かないのか?今けっこう複雑な道を走っているのが分からないのか?と思いイラつき始めたところで、例によって道を間違えた。
「んああ!!」
「え、なに、どうしたの?!」
「どうやら道を間違えてしまったらしい、ごめん」
あーあ、さぞ失望したような表情をするだろう、と思ったけれど、H子は
「あっ、そうなんだ。でね、それから後輩ちゃんがさ~、」と、話の続きをし始めた。
この女...!と思ったけれど、H子の寛大さというか、マイペースさに救われた。
そうして渋滞に巻き込まれたりしながら何とかアクアラインをとおり、昼過ぎには目的地に辿り着くことができた。
鴨川シーワールドは、アクセスがよくない代わりに敷地の広い水族館で、比較的施設が充実している。
シロイルカやシロクマ、ペンギンみたいな動物が、北極や南極を模したオブジェの中に大きく展示されている。そういう主役的な展示と展示の間を、深海の中をイメージした薄暗い通路が繋いでいる。
通路の途中にはオマケのように小さい窓がいくつかついていて、覗き込むとエビやカニ・雑魚のような生き物が申し訳程度に陳列されている。
他の動物とは違って、単体では注目されることのない、水族館っぽさ・海っぽさを演出するための、インテリアとしての展示だ。
そういう人によっては目に止めないような、景色に過ぎないような水槽の一角に、クラゲの展示がある。
H子は足を止め、クラゲを眺めていた。
「きれいだね。」と私が言うと、
「わたしのこと?」と彼女がおどけて言った。
「クラゲね!おかしいでしょ、こんなところで急に褒め始めたら。」
二人で笑うと、H子は
「わたしねぇ、クラゲになりたいな。」
とつぶやき水槽に両手を着いた。私も片手を伸ばし、水槽のガラスにひたりと触れた。ガラスのひんやりした冷たさが手のひらから伝わって来た。
水族館の水槽のガラスは水圧を調整する関係で特殊な構造になっていて、見た目よりも遥かに分厚いみたいだ。手のひらのずっと向こうをゆらゆら幻想的に漂うクラゲとの距離で、こちらとあちらの世界には彼我の差があることを知る。
決して主役になることのない、目も耳も鼻もなく、私たちと何ら互換性のない決定的に違う何か。クラゲなんて、こんなものになってしまったら、それこそ死んだも同然ではないか、と当時の私は思っていた。けれど、彼女が言いたかった言葉はまさに死にたい気持ちを換言していたのだった。
「まあ、何も考えないで良いっていうのはあるかもね。」
「うん、楽だよ、きっと。」
彼女が私と出会う少し前にうつになり、自殺未遂をしていたことを知るのはずいぶんあとになってからだ。
H子を戸田公園駅に送り届けると、彼女は私にお酒の瓶を手渡した。
「これ、今日連れて行ってくれたお礼ね。お酒好きだって言っていたでしょ」
H子は律儀な性格をしていた。何かを与えられれば、何かを返す。私にそうしてくれたように、彼女もまた自分のしたことについて、何らかの形で報われることを望んでいた。
だが、大抵の物事は与えるばかりで報われないものだ。だけどH子は、いや私たちはそういう当然の事象さえ受け入れることを拒んだ。この世界に土台向いていなかったのだ。
誰かから何かを受け取ることも久しくなかった私は、嬉しくてそのお酒は飲まずにとっておいた。その酒瓶は、今はもうどこかに失くしてしまった。
*
私は漁村にある、小さい民宿で育った。
夏の時期になると、釣り人やサーファー、海水浴客や旅行者、多くの人が訪れ民宿は賑わう。
海に来ると大らかな気持ちになるんだろうか、気の良いお客さんが殆どだった。
都会からやってきた学生さん、日に焼けたヤンキー、酔っぱらった中年オヤジ、宴会に呼ばれたコンパニオンのお姉さん、その他諸々。酒の席には似つかわしくない小さい子供がいるというだけで、私はよく可愛がってもらった。家族連れのお客さんの子どもたちと仲良くなることもしばしばあることだった。
しかしどんなに優しくしてくれたお客さんも、やがて「じゃあね」といって去っていく。私の知らない日常へ。そして大抵において、もう二度と会うことはない。
忙しい夏場が終わり、やがて秋が来て、民宿は連日閑古鳥が鳴く。誰もいない客間で横になり、窓から海風が入るのを感じて、とても寂しい気持ちになったのを覚えている。
大人になったら、私は去る側の人になりたいと思った。誰かに惜しまれる人になりたい、とその頃から願っていた。
自分の人生のオチについて考えるとき、私のこれからは孤独だろうな、とつくづく思う。
金もなく、といって人生を陽気にすることもない男のもとに、今さら人生をともに歩むような相手が現れるとは到底思えない。
このままサラリーマンを続け、貧困の日々を淡々と送り続けたすえに、定年退職するんだろう。
再就職は決して楽ではないけれど、何か適当な仕事に就いて、数年で身体をこわし、使い物にならなくなる。そして年金を貰って、ある日動かなくなる。そのとき私には頼るような家族はいない。
きっと住んでいる部屋は今より貧しいもので、私は今よりもっと遥かに偏狭な人間性を獲得していて、今いる友人たちと連絡をとることもないのだろう。
そのまま私は溶け、畳の染みになる。徹頭徹尾、疎まれるだけの人生だった、愛されない人生だった、とそのことだけを思いながら消えてゆく姿が見える。
ああだから、今死んでも明日死んでも変わらないこの私こそは、誰より先にこの世界を去ってやろうと思っていた。周囲の親しい人たちの中で、きっと私は真っ先にこの世を去ることになるだろう、と確信していた。
だけど、どうやらそうはなれなかったらしい。そして私のもとから大事な人が去っていくことに、こんなにも不慣れな自分を思い知った。
ジジイババアになるまで一緒にいようと話していたH子は、もういない。
二年前、私たちは寂しさのあまり結婚しようか、と話していた時期があった。
異性としての愛情なんてなくたって、分かちがたいパートナーとして、仲間として支え合っていくのは、それはそれで悪いことではないのではないか、と思った。
けれど、当時の私は子どもが欲しかった。H子とはその点でどうしても折り合わず、その話は無かったことになった。
しかしH子は死ぬ間際になって、私と結婚したかった、と言った。
子どもなんて要らないから、H子に戻って来て欲しい、また一緒にいて欲しい、と思う。それでも、もう時間は元に戻らない。
二年前、あのときから既に、私は選択を間違えていた。
*
昨夜、私は東京湾の埠頭にいた。
海原には、月も星も浮かんでいなかった。ただただどこまでも深い暗闇が水平線の彼方まで続いていた。
海辺で育った私には、夜の冷たい海風も波音も故郷のように心地良くて、恐怖は無い。水面を覗き込むと私を呼んでいるようで、気を許すと思わず闇に身を委ねてしまいたくなる。
H子は、その遺灰について海に撒いて欲しいという遺書をのこしていた。
今ごろ火葬され、彼女はクラゲのように漂っているのだろうか。
私は近所の持ち帰り可能なカツ丼屋で、一杯テイクアウトして持ってきていた。糖質を憎んでいたH子の為に、ご飯は少なめにしておいた。
H子が亡くなる日、彼女に
「最期くらい、何か好きなもの食べようよ。」と言うと、
「カツ丼が食べたいなぁ。好きだったんだよね、もう何年も食べてないんだけどさぁ」
と言っていた。
「でもね、内臓がずっと悪くて、もうダメなんだ。胃が荒れて眠れないくらいだから、あんなの食べたらきっと吐いちゃうよ。」
結局、H子が最期に口にしたのはその辺のスーパーで買った半額シールのついたお惣菜だった。
最後の晩餐くらい、どうして神さまは自由にしてあげなかったんだろう。彼女が何か罪を犯しただろうか、と思ったけれど、ああそうか、神も仏もこの世にはいなかったのだった。
カツ丼の入ったビニール袋を勢いに任せ、見えない月のある方へ放った。水面にわずかにしぶきがあがり、ビニール袋は海中に吸い込まれていった。
せめてあの世では好きなもの食べなよ、と思い、手を合わせた。
*
埠頭からの帰り、近くにあった銭湯に立ち寄った。
湯船に浸かると、海風で冷えた身体に湯が染みてほっとする。それで、緊張のネジが緩んでしまった。そして同時に、醒めた気持ちが頭をもたげてきた。
あの海に、H子がいるはずなんてないじゃないか。神も仏も彼女に手を差し伸べなかったように、あの世も霊魂もありはしない。
こんな儀式じみたことをしたって彼女の魂が救われるはずはない。
お前がお前を救う為にしてるんだ、ごっこ遊びだ、H子に何かしてやった気にでもなったのか?死んだ彼女に償うことなんてできるはずもない、お前の罪が軽くなるわけではないんだ!とあげつらい、ののしる、私自身だ。
あまりに情けない。情けなくて、情けなくて、涙が込み上げて、止まらなかった。
彼女の命を奪ったも同然のこの私が、その不在を身に沁みて泣くことになるなんて、そんなのは間違っている。H子のことを大事に思いながら何もできなかった遺族や友人たちの前に、こんな顔を晒すことはできない。毅然として振る舞わなければならないのに。
自殺幇助か、嘱託殺人か、実刑を食らうことになれば仕事を失うことになるだろう。判り切っている。でも絶対後悔なんてしない。彼女がくれた宝石のような日々に比べたら、彼女が少しでも望んだかたちで苦痛から解き放たれたのなら、世間の誹りも何もかも、痛くもかゆくもない。
そうまでして喪失を強く覚悟していたはずなのに、泣かないと何度も心に誓ったのに。
だけど、ああ、彼女といた時間は……、本当に楽しかったなぁ……。
老人ばかりの銭湯に、いい歳をした男のしゃくりあげる声が響いて止まらなかった。
醜く無様でふがいない私に、声をかける者は誰もいなかった。