スピリチュアルにすがろうとした。


 今年に入ってからの不運を数えると、頭が痛くなる。
 タイで車に轢かれ、親友を喪い、旅に出ようと思えばバイクが故障し、大雨に降られモバイル機器が壊れ、たまたま入ったぼったくりバーで金を巻き上げられ、先日またしても車に轢かれた。
 買ったばかりのバイクが破損し、私自身も相応に負傷し、フットワーク軽く動けなくなってしまった。

 別にエピソードもないくらいの小さい不運なら無限にある。
 目の前の机上にAとBふたつのカードが伏せられていて、Aのカードを引きたいな、と思う。
 だけど絶対にAは出ない。何度やっても、2分の1の確率のはずなのに、必ずBが出る。自分はそういう人間なんだという強い自覚がある。

 私は、不運だと思う。でも、そういうことはあるんだとも思っている。
 日本国民1億人参加・全国勝ち抜きじゃんけん大会のようなものがあったとする。敗残者は敗残者同士でトーナメントを行う。すると最終的には何十連勝もするような猛者も生まれれば、何十連敗も喫するような負け犬も生まれることになる。「全員勝ち」も「全員負け」もあり得ない。必然としての連勝・連敗が生まれる。
 私は、そういう役回りに生まれてきた。ただそれだけのことだ。

 それにしても、余りにも立て続いたと思う。
 人間が絶望するのに、大きな不運なんて必要ない。小さな不運の積み重ねやタイミングの悪さだったり、そんなことがときに人を「もう、耐えられない。」と思わせることがある。
 日に日に絶望を深めていく私を、親しい人たちは案じてくれる。多くの人たちにとって「死」は或いはフィクション同然の存在かもしれないけれど、実際に「同じ絶望を抱える親友」を亡くした私の抱く絶望はいつだってすべからくリアルな死に繋がっている、ように見えるのかもしれない。
 だから結構マジで案じられてしまう。それは有難いことだと思うけれど、だからといって明日の不幸が避けられるわけではない。
 「とにかく、生きていれば必ず良いことがあるから!」と言われたその翌日には電車の回数券を無くした上に家の鍵を無くして途方にくれているような人間だから、他人の言うことを全く当てにしていない。「ほら、見ろ!」と思う。

 特にスピリチュアルを引き合いに出されると最悪の気分になる。シャーマンだろうが霊能力者だろうが由緒正しき寺社仏閣でも教会何でも構わないけれど、藁にもすがろうとするばかりに正常の思考を失う必死の人たちから命銭を巻き上げ余計な窮地に押し込もうとするペテンの連中だ。すがりたくない。
 宗教なんて信じていないし、霊魂や神仏みたいな超常のものが存在するとは微塵も思っていない。初詣には行かないし、神社を見ても理由が無ければ手を合わせない。散歩している最中に尿意を催せば寺社の裏で立小便をする、そういう下品で不信人な人間が私だ。
 ところで死んだ親友は当然初詣に出かけるし、地方の由緒正しい神社には当然出向くばかりか、町を歩いていて小さい神社を見付ければ必ずお賽銭を出して手を合わせて祈り、お守りはいつも持ち歩き、お祓いやご祈祷みたいなこともしていたし、良いことがあったら良いな、と口にし、婚活もすれば資格の勉強だってするような相応の努力もしていたが、死んだ。
 だけど私が生きている。それが全てだと思っている。

 「頼むからお祓いに行ってくれ。」と言ってくる人は一人や二人ではなく、それも何度も言われるのだけど、ずっと無視していた。
 そういうことを言う人は、次に会うとき大抵「ねえ、お祓い行った?」という確認が始まるようになる。当然「行ってない。」と答えると、自在にならない私の行動について露骨に不愉快な態度を示してくるようになる。傷ついている私を心配していたはずが「そんなんだからお前は」と批判が始まり傷つける側に回ろうとするのは、まあ、気持ちは分かる。つくづく私は可愛げのない人間だ。

 とまあそんなことが度々あったところで先日、またしても車に轢かれた。
 法定速度の範囲内でバイクを走らせていた私の横っ腹に、前方不注意で一時停止線を無視した老人の運転する普通車が突っ込んで来たのだった。避けようがなかった。
 そして老人はそのまま逃走、私は救急車で運ばれていった。

 不幸中の幸いなことに身体は軽傷で済み、負傷した足を引きずりながら何とか今も日常生活を送っている。
 しかしバイクは修理に出ることになり、日常生活の中に当然のようにバイクが組み込まれている私は行きたい場所に行けなくなり、やりたいことが満足にできなくなってしまった。そんなわけで、少し時間ができた。

 私に対して、まあ言葉ならずも「お祓いに行け。」というご批判があるであろうことは想像に難くなく、先回りに履行し既成事実を作って置こうと思った。また今後何か悪いことがあったときに、「ほら、神も仏もいないんだって。」と言う為には、やはりお祓いに行っておかねばならないと思った。

 そうして土曜日、朝いちから予約して近所に在る代々木八幡宮のお祓いに行ってきた。
 台風14号が接近し、大雨が降っていた。

 4年前の同じ時期、私は死んだ親友と代々木八幡に出かけた。そのときも大雨が降っていて、そのときは、境内にお祭りの出店が賑わっていた。
 今は提灯もお囃子もなく境内は暗く雨音だけが聞こえ、そして私の隣に彼女の姿は無かった。境内の奥へ進むと、彼女が祈っていた社があった。そのとき、私は祈らなかった。手持ち無沙汰の私は、彼女が祈っている姿を後ろから撮った。
 振り向いて「何撮ってんの~?」と笑う彼女の笑顔を思い出し、胸が痛んだ。数少ない彼女の写真、今思えば、こんなものでも撮っておいて良かったと思う。

 今日も私は祈らない。彼女の祈りを何もかも無視した何者か、そんなものにすがって堪るか。

f:id:datchang:20201017182342j:plain

 

 受付で初穂料を支払い、神社の賽銭箱のその奥に在る空間へと案内された。
 天井に宗教画の描かれた畳部屋の真ん中に座らされ、神主らしき男に膝を突き合せ身の上を話した。

 「それは、大変でございましたな。」

 そう言って神主が立ち上がり、小僧が私の上で太麻を振るい、神主がご神体と思しき大きな鏡の前でお経のようなものを唱え始めた。汝の罪は許されるだとかそういうことを言っていた。5分ほどそんな茶番が続いた。

「さ、悪しき流れは絶たれました。これであなたの人生はここで一旦リセット、ということで。これからは、信心あれば救われることでしょう。」

 ほんとかよと思った。神主の肌は良く焼け、眉はよく整えられていた。きっと袈裟を脱いだ私生活は派手なもの違いない。
 とはいえこれで既成事実ができた。今後誰に呪いだとか悪霊の類いのことを言われても取り合う必要は無い。由緒正しき神社の神主が悪運は断たれたと言ったのだから、そうなのだろう。
 それでもなお悪いことがあるのだとすれば、きっと「違う論理で動いている何者か。」に導かれているのに違いない。H子を追い詰めたそれは、今もきっと私に取り憑いていると思う。

 

 まあ、そんなものはいない。

 単純に確率の問題だ。「そういうトコトンついてない人間がいる。」というただそれだけのこと。
 サイコロだって、何万分の1かの確立で、何度振っても同じ目が連続することがある。もしもサイコロに人格があったなら、「何かオレ、いつも1の目ばっか出ちゃうんだけど……。」などと独り言ちるに違いない。
 私とH子は、いつも1の目ばかり出る、人格を持ったサイコロだった。

 わずか5分足らずで5千円を荒稼ぎとは、神主も因果な商売してる。
 特に行く当てもなく渋谷方面に向かって歩いていると、「パーフェクトリバティ教団東京中央協会」という看板のついた立派な門扉があるのを見付けた。
 面白そうだと思った。ここも神社と同じで因果な商売やってるのかなと思い、暇にあかせて門扉の中に入ってみることにした。
 入り口にはいくつも防犯カメラがついていて、都心にも拘らず広大な敷地の中には、何台もレクサスみたいな高級車が停まっていた。
 堅牢な現代芸術みたいな教会の自動ドアをくぐり、受付で

「懺悔させて欲しいんですけど。」

 というと、品の良さそうな中年の女性が少し迷惑そうな顔をして、

「いえ、そういうことはやっていないんですよ。」

 と答えた。後でウィキペディアで調べると、PL教の信仰対象は宇宙=大元霊という神なのだということだった。随分ふところの狭い宇宙もあるんだと思った。

 それからまた当てもなく渋谷方面へ歩いた。相変わらず雨は止まなかった。
 誰かと話がしたかった。

 遣る瀬無い、散々なこの気持ちを誰かに聞いて貰いたいと思ってLINEの友だちリストを眺めたけれど、目ぼしい人は全員既婚か死ぬかしていて諦めた。

 そうだ、今日はお祓いに行ったし謎の教会にも迷い込んだし、スピリチュアルなことに縁があるんだと思った。そうなったら今日くらいそういうものに触れてみるのも悪くないな、と思い渋谷・スペイン坂の上にある占いの館に行った。話を聞いてくれるんならペテン師でも何でも構わなかった。

 台風前だからなのか、土曜の昼だというのに占いにかかろうという客は私以外いなかった。
 出てきた占い師は一見普通の中年女性で、四柱推命とタロットカードを使ってこれからの運勢について占ってくれるとのことだった。
 しかし四柱推命は全然当たっていなかった。

「あなたは今、運勢の良い時期にいますよ。」

 みたいなことを言うので、直近でこれまでにあった不運を話すと

「それは運勢が裏返っているの!長期的に運勢の良い時期にいても、短期的には悪いことが起こることがある。でも全体で見れば運勢の良い時期なの。」

 などと要領を得ないことをいう。そんな言いぶりが許されるならもう何でもアリじゃないかと思った。占いっていうのは株でいうところのテクニカル指標みたいなもんだなと思った。日足で陽線をつけていても、時間足で陰線をつけていたら損切せざるを得ない。
 後で結果を見てから損切しなくて良かっただとかいうことが判るだけで、要するに占いなんて結局なにか言ってるようで何も言ってない、アテにならないということを確認しただけだった。
 こんなことで金をとるなんてやっぱりペテンだと思った。

 四柱推命がひと段落すると、占い師がカードを切り始めた。
 パタパタパタパタ手慣れた様子でカードを切り、1枚のカードを私に選ばせた。

「はい、これはタワー。要するにあなたの運勢はしっちゃかめっちゃかということよ。」

「タロットは当たってるんですね。でもそれ、さっきの結果と矛盾しませんか?」

「タワーのカードっていうのは悪いだけの意味じゃないの!タワーっていうのは『リセット』。大きな混沌があなたの人生をめちゃくちゃにしてゼロにするの。そしてこれから起こる良いことを暗示しているのよ。ほら、当たってる。そういうことなのよ。」

 一体何が「そういうことなのよ。」なのか、鼻の穴を広げて誇らしげにしている中年の占い師にイラっとした。良いことが起こらなくても適当な理由をつけて責任なんてとらないくせに。


 占いの館を出て、神主の言っていた「リセット」という言葉と、占い師のタロットカードの「リセット」を暗示するタワーが重なった。そのことに、少し期待している自分がいた。

 何もかもバカらしいと思った。こんなことで、もしかしてこれからは、少しはマシな人生が待っているんじゃないかと思ってしまっている。

 心の弱った人間に取り入るのがペテン師の仕事だ。私は弱っている。これから元気になる予定は今のところない。
だから金輪際、宗教や占いみたいな心霊商法と関わり合いになるのは止そうと思った。

 その日はとりあえず、帰り道で宝くじを買った。