タイ旅行記

 1月の最終週、タイに行くことにした。
 以前より周りからしつこく勧められていたことと、職場の閑散期だったこと、滞在8日間で航空券と宿を併せ3万9千円の格安旅券が手に入ったこと、もうとにかく日本にいてもたまらない心境であったこと等々、種々重なりタイの首都バンコクに到着したのは25日の夕方だった。
 巷で話題になっていたコロナウイルスの影響なのか機内はいつもより空いていたし、片道7時間のフライトももはや慣れたもので、映画を見て寝て、気付いたときには現地にいた。
 極寒の日本と対照的に現地は気温30度以上の陽気で、タイ独特の香辛料の臭いに乗せられ、冬季うつのように沈んだ気分も少しずつ晴れてきた。
 空港のすぐ隣にある古びた駅から、博物館に置いてある骨董のような電車に乗り込み市内へ向かった。
電車はギシギシ軋み、自重で壊れてしまうのを恐れるようにゆっくり、慎重に走った。この電車もそろそろ廃線となりモノレールに置き換わってしまうらしい。線路と並行して工事中とおぼしき近未来的な駅舎が現れては消え、途中の休止線には廃棄された電車が何台もうち捨てられていた。
 車窓から外を見ると、街には路傍で寝る浮浪者がたくさんいた。暖かいから、その辺で寝ていても死なないのだろう。
 そうして呆けていると、ふいに車掌が私の手に捕まえていたレシートのような乗車券をふんづかんで取り上げた。驚いて顔を上げると、彼は乗車券にハサミを入れ、「Have a nice day」と笑顔を見せた。
 女性の化粧や人々の顔つき、肌の色を見ていると、中国の南方人に近い人種なのだと思う。だけどタイの人たちはどうも愛想がいいらしい。中国人の不愛想に慣れているから、くすぐったいような気持ちになった。
古い列車を降り、近代的な地下鉄に乗り換え都心に出る。
 地下鉄の乗車システムや車両は中国の内陸で見たものと同じだった。ベンダーで行きたい駅を選び、現地通貨のTB(タイ・バーツ)を入れると、コイン型のタッチ式乗車券が出てくる。失くさないようコインケースに仕舞った。
 目的地のスクンビット駅で降り地上に出るとTerminal21という大型のデパートがあった。
 初日だし、まともなものを食べて贅沢しようと思い夕食を食べた。タイ料理にはあまり縁が無かったけれど、タイティーという甘いオレンジ色のミルクティも、そのまま食べられる殻の薄いカニのソテーもグリーンカレーも中々どうして悪くないと思った。
 道中、道に迷っているマスクをつけた中国人の集団がいて、少し迷ったものの「まあ春節だからね」と思い、中国語で道案内をした。
 しかし私のことだから、大抵こういう慣れない善行をするとそれが反動となり自分の不幸となるのがいつものことだ。だから冗談半分でツイッターに「また徳を積んでしまった。しかしこれが後に不幸となって返ってくるのだ」と予言めいたツイートをしたのだけれど、まさかこんなにすぐに自らの不幸となって返ってくるとはさすがに思ってもいなかったのである。

 スクンビット近くに取った安宿は一部屋に2段ベッド×4置いてあり8人で寝るような、いわゆるバックパッカー向けの宿だ。しかしシャワーからはちゃんとお湯も出るし、トイレも清潔でトイレットペーパーも完備していたし、どうせ盗られて困るような物などさほどありはしないので、欧米人の足が多少臭うこと以外、特に不満はなかった。
 2日目は朝から近所の寺院を回った。
 バンコクは非常にコンパクトな街で、都心に近代的な建物も密集していれば、~~ワットのような伝統的な観光地も近隣に点在している。
 適当に町を歩きながら、写真をとって旅愁に浸った。
 暑いから汗をよくかいた。ジメジメしているわけではないので不快ではなかったし、便利なことにセブンイレブンファミリーマートみたいな日本のコンビニがそこら中にあったので水分補給するのにもことかかなかった。喉が渇く度、現地のフルーツティを片っ端から試していくのが楽しかった。
 そうやって町を歩いて堪能していると、いかにも客引きみたいな胡散臭い男が話しかけてきた。
「君は中国人?俺も中国人なんだ、血だけはね。生まれがタイなんだよね」
「おれは日本人だよ。悪いけど多分、あんまり君の話に乗ってあげられないと思うよ」
「おっと、じゃあ30秒でいいから聞いてよ。この辺りは寺院が点在してるだろ?歩いて回るのは大変だよな?でもトゥクトゥクなら便利だし、楽しいだろ。でもいちいち捕まえるのは大変!そこで、俺の紹介でその辺のトゥクトゥクに交渉して200TBでここらを一周できるようにしたい。どう、200TBだぞ!」
 まくしたてるように地図を片手に説明する男を見て、最初は相手にしないほうがいいかなと思っていたものの、200TB=600日本円程度という価格を聞いて思い直した。丁度トゥクトゥクにも乗ってみたいと思っていたところだし、まあ話に乗っても良いかなという気持ちになってきた。
「よし、決まりだ!」
 彼が手を挙げると、仲間と思しきトゥクトゥクが一台道端に停まった。
「よろしく!」
 運転手は気さくなおっさんという感じだった。そのままトゥクトゥクに乗り込み、近くの寺院まで向かった。グィン!!とものすごい勢いで飛ばしていく。原付を三輪にしたにすぎないような構造だからなのか、加速は急だし揺れもひどい。その様子を写真で撮ったり配信たりしていると、スマホを落としそうになり運転手に「モノ落としても取りに戻らないからな!」と釘を刺された。
 さて到着した寺院にはいわゆる涅槃仏みたいなものがあり、写真を撮ろうとすると「写真は禁止なんだ」と止められた。
 寺院の中は、やはり町中に比べて多少静かな雰囲気だったけれど、台湾や中国、日本の寺社仏閣で感じるようなあの張り詰めた静謐さはそこにはなくて、やはりそこもタイの陽気なお国柄なんだろうなと思わされた。
 タイの仏像は口紅を塗っていたり金色だったり真っ白だったりして、写真では当然何度もみたことがあるようなものだったけれど、実際に見るとではやはり奇異な感じがした。
 そうして幾つか観光地を回っていると、途中で「ここ見ていけ」といってトゥクトゥクが何かのショップみたいな店の前で停まった。
 店内に入るとテーラーが「どういうスーツが欲しい?」と藪から棒に聞いてくるので、「いや、おれはスーツは要らないんだよ」といって即退店した。
 すると店外で待っていたトゥクトゥクのおっさんが少し不機嫌になって「俺達はこういうお店に客を案内することでガソリンの無料クーポン券を奴らの組合から貰ってトゥクトゥクを走らせてるんだ、別に買わなくてもいいよ、もちろん買ってくれたほうがありがたいけど、でもせめてちょっとカタログを見て「どうしようかなぁ」みたいな態度はとってくれよ!」等と言うのだった。
 いや知らんがな、以上の何者でもないわけだけど、まあ、良いでしょう。そういうコントに付き合うような日があってもいい。何しろタイの陽気でおれは機嫌が良いのだった。
 そんなわけで次に訪問したテーラーでは散々カタログを開いた挙句、「〇〇mmのストライプの生地のラインナップはないのかい?ない?!オー、じゃあここでスーツは買えないよ、んじゃ!」といって颯爽と退店すると、外でトゥクトゥクのおっさんが「いい演技だったぜ!」と親指をたてて手をあげてきたので、ハイタッチを返した。今から思えばやかましいという感じだけど。

 こうして一通り観光を終え、再びその辺を散歩したり、ウィークエンドマーケットと呼ばれる週末しかやっていない夜市にいったり、マッサージ店で疲れを癒したり(マッサージといってもイヤらしいものではない。この国にきて思ったのだけど、どうやら東南アジア系の女に私は全く興味がないらしい)してから、ホテルの近くにある埃っぽいカフェバーに入った。
 暖かいテラスでモヒートを飲みながら陽が落ちていくのを眺めていると、この国に沈んでいく邦人が多いのは全く頷ける話だなと思った。
 町にはいわゆるオネエが溢れていて、目の前の道をカツカツ歩きながらあの独特のトーンの声で何をか喚いていた。こんな光景、日本では二丁目の朝くらいしかお目にかからない。本当にジェンダーフリーの国なのだなと思った。
 翌日の予定をゆったり決め、2日目は終わった。


 3日目、英語でmedical canavis clinicについて検索すると、すぐに医療用大麻を扱う現地の病院がいくつかヒットした。
 当然のことながら外国人に処方箋もなく大麻を配るような病院は殆どないけれど、予め英語の掲示板等を見て目星をつけていたし、前日にバーでいかにもやってそうな白人に聞いてみたところ「そこなら間違いない」という言質が取れていたのである。
 線路脇や高速の下にある貧民窟を抜け、用がなければ到底いかないようなマイナー駅の、古びた汚らしいビルの一角にそのクリニックはあった。
 他の店舗は全て潰れてシャッターが閉まっている中、そのクリニックだけが燦然とコンビニのような光を放ち、堂々と「THC(医療用大麻の成分)」なる看板を掲示していたので殆ど迷うこともなかった。
 クリニックに入り「医療用大麻が欲しいんだ」というと、赤い服を着た派手な化粧の小柄な老婆が棚から色々物色して目の前に並べた。
 大麻入りのお茶が300BT、大麻オイルが1000BT、大麻コーヒー500BT、、、私は迷うことなく一番効能の高そうなオイルを購入することにした。
「舌の裏に数滴たらして、2分置いときなさい、そしたらあなた、ハッピハッピーよ!」等と老婆がガハハと笑った。
 戦利品をカバンに仕舞い、さてこの後どうしようか、と思いながら道路を横断していると、右側からトヨタの中型のピックアップトラックの影が一気に大きくなってくるのが判った。
 「まずい」と直感し後ろに飛びのいたものの、踏み込んだ足の上にトラックが乗り上げ、ミシミシ、という音がした。
 身体は半身避けてはいたものの、トラックのバンパーが横腹に入り体が吹き飛ばされる力を感じた。
 しかし右足がタイヤに捕まっていたので私の体が吹き飛ぶことはなく、エネルギーは潰れた右足を支点にして遠心力をもって体をアスファルトにたたきつけた。そのとき後頭部を強打して、頭の中で卵の割れる音を聞いた。
 ゴーン・ゴーン・ゴーンという鐘のなる音が聞こえ、その辺を歩いていた男たちに担がれ道路の中央分離帯に寝かされた。
 意識が薄れていくのを感じていたが、両手だけ動かすことができた。「痛みを感じてない今のうちに靴を脱がなければ」と思い腿を引き寄せ、靴下と靴を脱いだ。足の感覚は完全になかった。
 手に入れ墨の入った現地の男の一人が、道路に落ちた私のスマホを拾い上げ、私の手に握らせてくれた。
 とっさにその辺の写真をとり、ツイッターに事故報告をした。
 現地の人が何かを言っていたが、耳が聞こえないので「警察と病院だ」とだけ何とか口にした。
 暫くすると警察がやってきたものの、意識だけ残っている私を見て埒が明かないという態度で加害者の男に「病院に連れてけ」と指示を出していた。
 男の車に運ばれ、病院に運ばれている道中、後部座席から日本人が日本語で「ああ、やっちまったよ」と話しているのが聞こえた。
 日本人が乗ってたのか、、、と思っているうちに、ただ感覚がないだけだった両手足や性器から血液が引いていくのを感じた。
 ああ、ここで意識が終わる、もう二度と起きることはないかもしれない、と意識が薄れていくので、友人にお別れのラインを送ったところでブラックアウトした。
 次に気付いたときには病院の担架に乗せられ、運ばれているところだった。
 幸いなことに両手は動いたので、写真を撮りつつ看護師に頭を打ち付けたと告げたけれど、「ええ」という迷惑そうな顔をするだけで、レントゲンを取ったのは右足だけだった。
 何度も気を失い目醒めるということを繰り返し、気付くと手に痛み止めを握らされ、車いすに乗せられたまま病院外の担架が並べられたスペースに放置されていた。金を払った記憶はないのでおそらく加害者が払ったのだろう。
 しかし両手がわずかに動くのみで、自分の体を動かすことはできない。このまま朽ちていくのではないかと思ったとき、膝の上に載っている自分のカバンの中に入っているものについて思い出した。
 大麻...。あれは見つかったらまずいものだ。ここは病院だけど、身元確認のためにおれの荷物は漁られたりしなかったのだろうか。
 口が閉じられず舌が出たままで、涎が流れ出ていた。
 全神経を集中させカバンを開くと、オイルはちゃんと中に入っていた。
 オイルをスポイトで吸い上げ、そのまま舌に垂らした。売人の老婆は数滴といったが、結構な量を顎に流し込んだ。
 オイルの蓋を閉じカバンに放り込むと、目を閉じた。
 そして、私の意識は宇宙と一体化した。

 暗闇の中にいた。
 しかしこの暗闇は閉じた瞼の裏ではない、という確信があった。
 ただ暗く、無限の奥行きがあり、しかしそこには私の肉体を含めて何一つ存在しない虚無の世界だ。止むに止まれず私は唱えた。
「光あれ!」
 一瞬宇宙が閃光に包まれ、無限の光が無限の闇に吸い込まれていくのを感じた。
 依然闇ではあったけれど、原子の暗闇ではない。私は周囲の虚無を粘土のように固めると、地球と星々を飾った。光が反射し輝くのを見て安心した私は、空気・緑・動物・そして人間と文明を生み出した。
 そのとき私は、時間を物理的に扱うことができるのを感じた。
 カーソルをスクロールするように時代を進めると、子たる人らが争う姿が見え、私は2020/1/27/15:00、バンコク警察病院に受肉した。
 受肉するとみるみる神なる力が消えていくのを感じたので、女を生んだ。質量も質感もある、女の実体だ。女は私を慰めると消えていった。
 再度時間を物理として進め、18時頃まで時刻を進めると、誰かが放置された私の肉体に気付いた。
スクンビットのホステルに連れてってくれ」と頼むと、救急車で連れて行ってくれた。
  相変わらず右足は動かなかったが、そんなことはどうでもよかった。
  同室のロシア人に抱えられ布団に沈むと、そのまま翌日の昼まで眠った。


 4日目、目覚め、ツイッターで生存報告をして痛み止めを飲んだ。
 全身が痛い。右足の感覚はまだ無い。とにかく水を飲み、ツイッターで教えてもらった外国人向けのサミティベート病院が近くにあることを調べた。
 幼虫のような歩みで外に出て、健康体なら20分ほどの道程をえずきながら90分ほどかけてたどり着いた。
 外国人向けの病院よろしく、頭を打ったというとすぐ頭部CTをとってくれた。入院を勧められたものの、入院をすると面倒な手続きがいる旨を海外旅行保険を担っているエポスカードの担当者から聞いていたので断った。
 翌日再度脳神経外科に来るように伝えられ、何とかホテルに帰るとそのまま眠りに落ちた。
 5日目も体調が戻らなかった。
 17時に受診予定だったけれど、13時には病院についていた。4時間もある。そこで大麻を使い、時間を操作することにした。17時丁度、目覚めた。
 正確には、病院の待ち合いのベンチで泡を吹いているところを揺り起こされたのだが。
 その間、イヤホンで聞いていた音楽は脳の中でマリアージュされ、音が光の渦となって世界を覆っていた。
 CTの結果は異状なかったものの、体温が38度もあるので検査をするとインフルエンザだった。
 薬を渡された帰り、デパートに寄って何か口にしようと思ったけれど、固形のものは一切受け付けず、ゼリーだけ買い込んで帰宅した。
 ホステルに帰ると同室のロシア人がエアコンの冷房を16度に設定していたので、「寒冷地の出身だから熱帯に耐えかねるのかもしれないが、やめてくれ」と頼むも「暑いからイヤだ」すげなく断られた。
「おれは熱があるんだよ、武漢ファイア!」と咳を吐きかけると、「WTF!OMG!!」等と叫びながら埃だらけの扇風機の強風をこちらに向けてきて凍えるように寒く身体が震えて本当につらかった。
 そこから数日、帰国の日までひたすら高熱にうなされ、重い体をひきずって帰国した。
 未だに鼻孔にタイの忌々しい臭いが染みついていて取れない。もう二度とタイには行きたくない。
おわり