49日は祈ることにした。

 「誕生日までに死ぬ。」と宣言した親友は、その言葉どおり逝ってしまった。

 

 3月17日、それが親友の誕生日だ。

 数年前のその日、私たちは牡蠣の食べ放題にでかけた。ふたりとも牡蠣が大好物だった。

   今はもう潰れてしまったけれど神田駅の近くにあるおせっかい屋弐号店という良心的な居酒屋で、私はそこの常連だった。

   牡蠣を焼きながら日本酒をのみ、

「あ、そういえば今日誕生日だったでしょ。」

 とそういうわざとらしいことを言って彼女に干芋の束を手渡した。干芋は親友の大好物だ。

 前日、銀座にある茨城県の物産展で名産の干芋を全種類購入していた。といっても数千円するかしないか程度のものだ、何しろ干芋なので。

 しかし彼女は顔を紅潮させて、

「牡蠣と干芋をこんなに沢山!こんな幸せな誕生日があっていいのか?!」

 と口に牡蠣を詰め込みながら大喜びしてくれるのだった。私が調子に乗って、

「おれ、出来る男だろ?」

 とおどけると、彼女も口をもぐもぐさせながら、「うんうん!」と首を縦に振ってくれた。

 その後、私たちは調子に乗って牡蠣を食べ過ぎ、店主に「負けました、もうこれ以上牡蠣を食べるのは勘弁して下さい!」と言わせたのだった。

 彼女はあれから度々その日のことを話題にした。店主に「負けた」と言わせたくだりでは、得意げな顔をして。きっと本当に嬉しく思ってくれていたのだろうと思う。

 私も嬉しかった。

 

 辛いばかりの日々じゃなかった。一緒にいる時間は、楽しかったよね。

 ああでももう、失われた時間も、命も、元には戻せないな。戻したら、きっと怒るだろうしな。

 

 今年3月17日、そうして私が親友に思いを馳せていたその頃、名古屋のある病院で一つの命が生まれた。

 私の元同期で、未だに友人として連絡を取り合っていたM央が出産したのだ。そのとき胎盤の剥がれ方がまずかったとかで数ℓもの出血をし、生死の淵を彷徨っていたのだという。

 輸血より出て行く血の量が余りに多く、混濁する意識の中で、霧中に三途の川を見たという。そこでM央は一人の女と出会い、M央の顔を見るや強く突き飛ばした。

 そしてこの世に戻って来た。

 出産を報告する電話でM央はそれを怖い話のトーンで話していた。けれど私は、もしやその女とは親友だったのではないかと思わずにはおれなかった。そして3月17日に生を享けたその赤ん坊は親友が転生してきたのではないか、という思いを否応なく抱かずにおれなかった。少なくとも、運命的なものを感じた。

 相変わらず生き急いでるのだろうか、49日も経ってないのに気が早い。

 

 とはいえ、こんなときに見も知らない死んだ友人の話を聞かされても良い気持ちではなかろうと思った。そして当然のことながら親友の死とそのいきさつについて私は自らM央に語らなかった。

 

 ところが人の口に戸は立てられず、M央は私以外の同僚から噂話で、私と親友の話を知ることになった。別段隠していたわけでもない。

「だっちゃんのことが心配、何でも話して欲しい。」

 というM央に心を許し、私は親友の死とそれを看取った経緯について話したのだった。

 全てを聞き、M央は当初同情をしてくれた。

 しかし何度かやりとりしているうち、LINEに既読がつくことはなくなり音信不通となってしまった。そして調べてみると、やはりブロックされていることが判った。

 

 M央との思い出も5年分あり、何度も遊んだ浅からぬ縁である、と私は思っていた。が、それをあっさりと断ち切られたことに私は寧ろ安堵を覚えた。責める気なんて毛頭ない。

 

 人は一人で不幸になることはできない。私も親友を失い一人で不幸になっているようで、本当は私を慮ってくれる人たちを少しずつ悲しく忸怩たる気持ちにせしめている。

 不幸は伝染しかねない危ういものだ。

 第一子誕生の目出度い折に不幸は似合わない。そしてまた、そのとき私には嘱託殺人の嫌疑がかけられ目下捜査中の身だった。

 そんな不甲斐ない私に、気遣いは要らない。

 きっと若い頃のM央なら、私に情けをかけて深く関わろうとしたように思う。しかし今彼女には、私の知らない数多の大事なものがあるのだろう。

 

 不幸な人間に関わり救おうとすることそのものが、不健全で病的な人間の行動だ。不幸な人間を見つけたら踵を返すことが健常な人間、守るべきもののある人間の採るべき正解だろうと思う。

 ゆらい守るべきもののある人のことについて、守るべきものを持たない私はただ想像するしかない。しかしおおよそこういうことなのではないか。

 

「私はきっと、本当は一人で死ぬべきなんだと思う。」

 と漏らした親友に、私は

「うん、死ぬんだったら一人でね。」

 と応えることもできた。しかしそうしなかったのは、私がH子を深く想っていたことと同じくらい、狂っているからだ。狂人に関わるべきではない。

 

 勿論完全に達観できるはずもなく内心は寂しく思う。けれど親友の死を看取ると決めたとき、こうなることも十分判っていた。

 服役し完全な孤独となり親友の後を追うことまで想定していた。

 

 しかし実際はそうはならず、私は娑婆でアスベストのように不幸を撒き散らしている。

 罰せられるべき罪を罰せられずのうのうと生活していることが、たまらなく居心地が悪い。他人と一緒にいることが不安でたまらず、今はただ、来る日も来る日も死人の冥福を祈って暮らしている。

 

 この世を生き地獄だと常々語っていた親友も、向こうの世界では心穏やかに過ごせているのだろうか。そうあって欲しい。

 

 神も仏もいなかったように霊だって存在するはずもないんだとか、心なんて生きてる者の特権なんだとか、死人の為にすることは須らく徒労なんだとか、それは私もそう思う。あの世なんてないんだろう。

 でも、もし、万一そんなものがあったとして、生死の淵を彷徨うM央を三途から押し返した親友が、祈りが足りないことで川を渡れず成仏できなかったらあんまりじゃないかと思う。

 だから当面、彼女のために祈ることにした。バカバカしいと思うだろう。だけど私は守るもののない狂人だから、死者を思うことを辞められない。