紙の鰓

 読書家を名乗るほどには、本を読むことはなくなった。それでも通算では年間まあまあの冊数を読んでいる気がする。
 ただ、前のエントリでも書いたように頭が良くないから、その殆どを忘れてしまった。そもそも書いてある日本語が理解できない本も沢山あった。
 だから得たものはそんなに多くない。

 この世界には、おれの感情を当意即妙に言い得る表現の天才がいて、自分で改めて表現しなければならないことなんてもはや特にないな、ということが判っただけだ。

 一時期は人生の虚しさを埋めるように、心の断崖へ何冊も何冊も投げ込むように本を読み漁ったけれど、底を打つ音が聞こえたことは一度としてない。

 それでも、このページの先に真理があるのではないか、或いは、自分の中の何かが、誰かの思考を通じて変わるのではないか。そんなことを期待して、今日も本を読んでいる。
 勿論本の中に真理なんて存在しないし、文章なんか読んだところで何かが変わることなんてことはあり得ない。
 そんなことはまあ、薄々判っているけど、僅かな可能性にかけて次のページを開くまで生きよう。その間断ない連続性で、何とか呼吸をしている。