蜘蛛の糸

 ある朝起きると、身体が床に沈み込み、暗闇の中に落ちていった。

 夕方頃になってようやく布団から這いずり出す。全身が鉛のように重かった。
 トイレへ行き、顔を洗った。食事は喉を通らず、空になった胃のままを薬を飲んだ。
 ふとコップを握っている手から目を離すと、指から魂が離れて滑り落ちた。

 コップが転がり、水が床に流れ落ちたけど、拭くのは諦めた。

 日常の所作に、とてつもない精神力が必要だった。
 本来無意識でできるはずの動きを、意識下で叫び声をあげて命令しなくては歩くことさえままならない。

 溺れているように呼吸が苦しい。

 人には、老いとは別に耐用年数のようなものがあると思う。
 きっと、それが切れたのだろう。今日までよく持った方だとさえ思う。

 何か書こうとパソコンの前に座ったけれど、もう長い文章を考えるような気力も、知能も、残ってはいなかった。

 数日家に引きこもり、気が付くと年が明けていた。
 どんなに薬を飲んでも濃霧のようにまとわりついて消えることの無かった希死念慮が、はっきりとした輪郭をもって現れるのがわかった。
 もはや働くことはおろか、ただ生きていくこともできない。

 決着をつけなくてはいけない。

 数年前から準備していた大型犬用のロープを取り出した。
 持ち手の部分に縄を通して吊るせば、難しい縛り方なんてできなくても首を吊ることが出来る。
 家にある睡眠薬は効果の小さいものだけど、アルコールで何錠も流し込めば意識を朦朧とさせることくらいできるはずだ。

 コートを着て、ベランダに出る。
 見下ろすと、神社に人が並んでいるのが見えた。

 幸せを祈る人の見える場所で、今まさに死のうとしている人間がいるなんて、滑稽だと思った。

 ベランダの天井には、洗濯物を干す為の太い金属が取り付けられている。

 縄をかけ、輪が身長よりわずかに高くなるよう調整した。
 念のため手首に縄をかけ、倒れ込む形で全体重を縄に載せた。

 首吊りの最も多い失敗は、縄が体重に耐えきれず、千切れてしまうことだと知っていた。後遺症が残り、自分で死ぬことを許されない障害を抱え、地獄の余生を送る者もいる。
 それは絶対に避けなければならない。

 空を見上げる形になり、しばらく身を委ねた。
 正月は雲一つない快晴で、太陽が眩しかった。

 まぶたを細めると、手にかかったロープがまるで空へ繋がる蜘蛛の糸のように見えた。釈迦が罪人のカンダタを憐れみ、救い上げる為に天から垂らした蜘蛛の糸だ。

 おれにとって、この世は地獄以外の何者でもなかった。
 多分、単純に人生が向いていないのだろう。生きてることそのものが苦痛で、そこから逃れようと足掻いて足掻いて、何度も希望が現れては消えていった。
 学問で大成することも、組織で上がっていくことも、一人で金を稼ぐこともできなかったし、何かを変えることもなかった。

 だけど、確かに愛されたことがあった。一時的にだけど、この手に大金を掴んだこともある。
 だからこの世を呪わずに済んだ。それで十分だ、それが自分には分不相応の僥倖だとわかっている。未練なんてない。

 それでも、あと少し、あと少しだ。
 夜になり町から人目が消えたら、それでしまいだ。

 

 

 縄がミチミチと音を立てたかと思うと、爆ぜるように千切れ、背中からコンクリートの地面に叩きつけられた。