ブラック研修体験記

 「内定です、おめでとうございます!」

 第一志望の企業から連絡を貰ったときは、本当に嬉しかった。某大手旅行代理店だった。
 旅行業界を志望したのは、海外旅行に良い思い出しかなかったからだ。旅を企画するワクワク感に囲まれて働くのは、きっと楽しいことだと思った。実力次第で海外転勤や昇進、年収1千万円が夢ではないというところも、一度夢破れて大学院を中退しようとしている自分が次に目指す目標としては悪くないように思えた。

 大学生の志望度ランキングで常に上位の企業で、総合職の倍率は600倍以上とのことだった。
 SPI対策、IR分析、株価もニュースも調べ上げ、支店には客の振りをして見学して改善点をチェックし、正に万全を期して挑んだ。
 参加必須の説明会も含めれば5度も本社ビルに通ってやっと勝ち取った内定だった。
 その分喜びも大きい。一番最初に履歴書を提出した第一志望の企業が真っ先に内定をくれたのだ。縁を感じずにはおれなかった。

 他にも何社か最終選考は残っていたけど、内定の電話を貰ったその場で全て断りの電話を入れた。

 内定式の為に本社に出向いた。
 本社は西新宿の真ん中にある超高層ビルで、二度も高速エレベータを乗り継がなければオフィスに辿り着けない。
 中層階には展望台があって、東京の街並みを一望することができた。
 ここで働くんだ。エリートになったんだ、と思った。
 オフィスに到着するとわずか3人の同期がいて、お互いの健闘を讃え合った。

 それから間もなく内定者バイトに入る。これは内定者全員、実質的に参加が必須のもので、最低賃金並みの時給でなるべく多くバイトに入ることを求められる。これ自体は、まあ勿論仕事なので厳しいけれど、大してキツイものではない。
 今から考えれば、内定者を拘束して就活を終えさせる目的のものだと思う。
 その後、3日間の「本採用前研修」を受け、採用となる。これも考えてみればおかしな話だけれど、研修中は無給である。
 研修会場は代々木にある国立オリンピック記念青少年総合センター。
 当時おれは近所に住んでいたのでかなり時間に余裕をもって会場入りしたのだが、1時間前には既に内定者は全員集まっていた。

 開場となり、指定された会議室に入ると、長机が演壇に向けて整列していた。
 皆和気藹々としていて、隣の人と自己紹介をしたりしていた。女子率6割以上、外国人も3割くらいいた。関東支社採用の者もいれば関西支社採用の者もおり、おれのように総合職やエリア総合職内定の者もいたけど、殆どが契約社員としての採用だった。

 時間が来ると、演壇に面接官だった人事課の中間管理職らしき人が上がり、スゥ、と息を吸い込んだかと思うとマイク越しに怒鳴りつけた。

「てめえら、うるせえぞこの野郎!!」

 会場は水をうったように静かになった。
「いつまで学生気分でいるんだ、全員出てけ!てめえら内定取り消しにするからな、もっかい入場からやりなおせ!」

 一旦全員会議室の外へ出て、再度粛々と入室した。
 そして長机の席の前に立ち、「着席!」の合図で同時に座る。
 だけどこれが中々綺麗に揃わない。3、4度やったところで面接官が言った。

「もういい、もうこれで終わりだ!どうやら今年の採用は失敗だったみてえだな。クソ、こんなダメな内定者見たことねえよ」
「〇〇!何処いるんだ出てこい!」

 恐らく人事課の一番下っ端と思しき社員が演壇の下に呼ばれた。
「てめえが今年は良いっていうから期待してたのに、結局これじゃねえかこの野郎、何考えてるんだオラ!」
「申し訳ございませんでした!!」
 下っ端が勢いよく頭を下げる。
「てめえおれに謝ってどうすんだこの野郎、こんなクソみてえな連中に付き合わされる先輩方に対してはどうなんだ、オイ!」
「諸先輩方、申し訳ございませんでした!」
 会議室の壁際に控えた数名の人事課職員らしき先輩たちに、下っ端は頭を下げた。
「もういい、下がれ」
「オイ!てめえらが不甲斐ないせいで〇〇が恥かいただろうが!採用して貰った恩はねえのか、しっかりやれ!」
 依然会議室は静まり返っている。
「返事!」
 怒声に反応し、全員が「ハイ!」と応じる。
「たりねえよ、返事!」「ハイ!」「返事!」「ハイ!」「返事!」「ハイ!!」
 何度か応酬があった後、
「オッシ、しっかりやれよ」
 と言い残し面接官は演壇を降りた。代わりに若い女性職員が上がり、嫌味たらしく言った。
「本当、こんなに出来の悪い内定者は正直いって初めて見ました、本当に酷い。今まで何をやっていたのか教えて欲しいくらいです。」
 そして、これからのタイムスケジュールを説明された。

「ではこの中でチームを作って貰います。」
 内定者は座席ごとに8チームくらいに割り当てられ、夫々にABCDのアルファベットが割り当てられた。総合職、契約、外国人がバランスよく配分されるようになっているようだった。
 おれのチームは、おれの他に高卒、元たこ焼き屋、元教師、中国人女子というメンバーだった。
 チーム内での話し合いで、おれがチームリーダーとなった。
 スタートが5人編成のチームの長だなんて、正に伍長だ。ここから大将軍を目指すんだなぁ、と下らないことを考えた。

 そこから研修が始まり、座学やマナー講座等をするのだが、当然ミスをすると怒号が飛んだ。
 極力メンバーがミスを犯さないよう、立ち振る舞いや態度を見張り、彼らを鼓舞した。

 運が悪いと名指しで演壇に上げられ、ある状況下でどういう行動をとるか等といったシミュレーションをさせられることになる。場合によっては「なぜそう行動したのか」について釈明も求められる。
 そしてそれが外国人だったときには、当然日本語も未だビジネスレベルではないのでたどたどしく答えることになるのだが、
「てめえ何いってっか全然わかんねえよ!こういうことなることくらいわかってただろ、勉強してから来日してこいこの野郎!」
 などと怒鳴られることになる。これには同情した。自分も就活するにあたって海外で働くことは選択肢にあったので、もし自分が別の国で就職していたらこんな屈辱に遭っていたのだろうか、と思った。

 座学ではテストもある。問題は各国の主要空港に割り当てられた三桁のコードを回答するというものだった。
 例えば成田ならNRT、羽田ならHNDと判り易いが、深圳宝安はSZXのように世界の空港には名前と関係ないもの数多くある。これは内定式のときに貰う参考資料の中に入っている「コード一覧」というペーパーを暗記していれば書いてあるのだけど、何の脈絡もない単純な暗記なので満点をとるのは中々難しい。
 満点を採れなかった者は全員起立させられ、怒鳴られた。勿論、元添乗員の中途採用の1名を除いて全員が起立した。
「てめえ70点ってことは30人のお客様が目的地まで辿り着けなかったってことじゃねえか!30人も目的地に辿り着けなかったら会社潰れちゃうよ!てめえうちを潰してえのかこの野郎!」
 別にそういうことにはならないと思うのだけど、とにかく隙を見せたら怒鳴られる。
「満点取れなかった奴は翌日追試!」

 だけどおれは思った。膨大な空港コードを暗記させるなんて、こんな試験はありえない。これはNARUTOの中忍試験の筆記と同じだ、「うまく危機を乗り越える」知恵が試されてると思った。

 そこでメンバーにカンニングペーパーの製作と(採点は隣の人が採点するというシステムなので)回答者が間違った回答をしてたら〇をつけつつ正解を書き込むよう指示した。
 当然、翌日の試験では我がチームは全員満点を取った。同じくメンバー全員が満点を取ったチームとともに褒められた。
 だけど当然、正攻法で挑んで玉砕するチームもいる。
 その中で最低点を取ったのは、中国人女子のTさんだった。

「てめえナメてんのかこの野郎!」
 皆の前でつるし上げられ、怒鳴られる。
「てめえを採用した現地の社員からはな、てめえが海南島(中国の地名)で一番優秀だっていうから採ったんだぞ!それがこんなレベルじゃ、もう二度と日本企業が海南島から採用することはねえ、いいか、てめえのせいで島から採用がなくなるんだよ!」
 すると今まで項垂れ歯を食いしばって耐えていたTさんがハッと顔を上げて言った。
「悪いのはワタシです、海南島悪くない、ワタシがバカだったダケです!海南島見捨てないデください、ワタシをクビにして下さい、海南島は悪くない、海南島は悪くない」
 Tさんは恥も外聞もない様子で、号泣しながら膝を床について面接官の足にすがった。土下座だ。
 中国人は人前で叱られることを嫌うプライドの高い民族だ。それがこんなに屈辱を受けて、それでもなおその相手に追いすがることがどういうことなのか解るだろうか。
 面接官もTさんの様子に動揺したようで、「もういい、戻れ!」と言い残し、バトンタッチした別の職員が次の授業に移っていった。
 Tさんは他のメンバーに支えられるように席に戻っていった。
 一回りも二回りも年の違う外国人の少女に、こんな仕打ちをしなければ成立しない仕事ってなんなんだろう。
 心の中に、冷たい物が流れ込んでくるのがわかった。

 一日の研修が終わり夜になると、宿泊施設へ移動をする。
 ずっと緊張状態にあったから、解放されたという安堵はあったけど、皆口数は少なかった。どこに見張りの社員がいるか判らないからだ。

 そして、脱走者が出た。
 場所も代々木なので、逃げるのはそんなに難しいことではない。
 残った者は、脱走者の不甲斐なさを口々に言い合い団結を高めた。

 食事を済ませ風呂に入った後も、眠ることは許されない。
 前のエントリに書いたとおり筆記試験の対策もしなければいけなかったし、授業では課題を出され、後日プレゼンをするよう指示されていたからだ。それもすぐにこなせる分量ではない。
 それでもうちのチームは一人が与えられたMacを使ってプレゼン資料の作成、他のメンバーはアイデア出しと喋る内容を考える等、うまいこと仕事を分け合いチームワークを発揮していた。
 アイデアだしも煮詰まり残るは事務作業のみというタイミングで、ローテーションを組んでメンバーに一人2時間くらいの就寝を指示した。

 だけど緊張状態から寝ろといっても、それは簡単なことではない。

 翌朝、施設の前に集まって朝礼をすることになっていたが全員グロッキー状態だった。中には体調不良を訴え施設から出て来れない者もいた。

 ストレッチをし、代々木公園を2kmくらいランニングをする。
 ところがうちの班の中国人の女子が、どうやら貧血になったらしく途中で嗚咽をして倒れそうになっていた。ちゃんと眠れていないのだから当然のことだ。
 他のメンバーに先に行くよう伝え、おれはその子を背負った。
 コースは2km程度だけど、公園の中は入り組んだ道になっていたので、社員の目が届かないと判断したところで落ち葉や土の地面の舗装されてないところへ入りうまくショートカットしつつゴールした。それでも人を一人背負って何百mも走るのは重労働で、目の端には星が飛び、隠れて嘔吐した。
 中国人の女子が
「Dさん、これは中国の軍役よりキビシですネ」
「だから日本は発展したデスネ」
 というのに、
「うーん、多分うちの会社だけなんじゃないかな?!」
 と応じるのが精一杯だった。おれだってうちの会社以外のことなんて知らないのだ。

 とにかく正気を失わないことをメンバーに呼び掛けた。疲労しても後ほんの数十時間、感情に飲まれなければ何とかなる。

 だけどやっぱり、それは向こうが上手だったと思う。 
 途中、体育館で声出しを行った。
「いらっしゃいませ!」
「ありがとうございます!」
 お客様には勿論のこと、今まで自分を育ててくれた親への感謝の気持ちも叫んだ。声が小さいと当然目を付けられるから、喉から血が出るほど何度も叫んだ。
 この頃になると、酸欠や疲労で一種の陶酔状態になる者が出始めた。別に何ら脈絡のないところで泣きじゃくりながら
「おれはこの会社で世界の一番になります!」
 等と社員に叫び出したり、意識の低いメンバーを発見すると怒鳴り散らす官憲のような人間が現れ、カーストが生まれた。
 メンバーが他のチームに攻撃を受ければ、
「てめえこの野郎だれのメンバーに手出してんだコラ」と怒鳴りに行く。そうしておれもまた、カーストでの座布団を上げていった。

 3日目、最終日になった。

 午前中、授業で別の班のリーダーの女子が忘れ物を3回連続でしたことで女性職員に教室の外に引っ張り出され、廊下から「ギエエエエエェェェェ!!」という叫び声が聞こえてくるという微笑ましい一幕はあったものの、基本的には内定者の立ち振る舞いも適応しあんまり怒られることもなくなっていた。

 3日間ほぼ不眠不休の中、全員グロッキー状態で行ったプレゼンは何とか成功し、これ以上ないくらい褒められた。
 研修を通じてチームとしてのフィードバックも発表されるのだけど、評価も全体で2位と好成績で終えることが出来た。
 
 壇上には社長が現れ、「今年の採用は優秀だったと聞いてる」「お前ら(人事課)、また厳しくやったんだな?」「みんな、よく頑張ったな」と健闘を讃えてくれた。社員も今日はニコニコしていた。
 初日から比較すると、えらい変わりようである。

「じゃあ、最後にビデオを見ます。」
 会場が暗転し、旅行業の良さを訴える映像を見せられた。
 それは新卒で入社した社員が、初めて女子大生のお客様の卒業旅行を案内することになり、それを機に贔屓にして下さるようになり、次は新婚旅行の案内、次は赤ちゃんを連れての初めての家族旅行を案内することになる、という内容だった。お客様の人生の節目に関われる喜びが旅行業にはあります!というメッセージが最期に社名とともに現れ、感動のフィナーレとなった。
 開場が明転すると、全員泣いていた。
 なんか、色々あったけど研修頑張って良かったな!そういう空気が開場を支配していた。

 そしてあと少しで閉会の挨拶というとき、面接官が現れた。
「てめえら、ちっと静かにしろ!!」
 会場が静まり返る。
「オイ!今から呼ぶ3人、前に出て来い!」
 内定者から3人名指しされ、演壇に上げられた。3人とも何か重大なことをしでかしてしまったのではないかと思って顔面蒼白になっている。

「お前ら、やっと後少しで終わるって言うときにどういうつもりだ!!」
 怒鳴りつける。
「てめえ、どうして呼ばれたかわかるか?」
 一人に問うと、
「わわわわわ、わからないです!」
 と唇を震わせ答えていた。足も震えているのが、遠目にも判った。

「なんだとこの野郎...。本当にわからねえんだなァ?」
「じゃあな、教えてやるよ」
「お前ら、今月、誕生日だろうが!」

 パッと会場が暗転したかと思うと、巨大な誕生日ケーキが3個運ばれてきて、社員一同が「ハッピバースデートゥーユー!」と合唱した。勿論、おれ達もあわせて手拍子と歌をうたった。
 3人は緊張が解けたのか、ヘナヘナと床に崩れ落ちて泣いていた。

「お前ら、これが感動だ、感動を売るのが俺達の仕事だ!」

 面接官が叫ぶと、内定者全員が
「ウオオオオオオ!!!!」
 と快哉を叫んだのである。
 全員目がイッていた。ああ、おれたちは洗脳されたんだ、と思った。

 そして閉会となり、帰宅して泥のように眠った後、おれは内定辞退の電話をかけた。

 募集要項の月給は20万円とあったけど、それはみなし残業代40時間分を見込んだ金額で、実際の基本給は16万円程度にしかならない。その安月給でこれでは、全く割に合わないと思った。

「仁義とおす為に一回本社に来い」
 と言われ本社に行き、対応してくれた職員に
「なんか、宗教染みてて気持ち悪いなって思ったので辞めます」
 と伝えた。社員も

「何言ってるかわかってるのか?!」

 と応酬したが、こちらももう利害は無いので

「あ?なんだよ」と返すと、あっさり内定辞退となった。 
 こうして、おれの旅行業への希望は終わったのである。