ここじゃない何処かの国に、希望なんてあるんだろうか。

 先日、某企業から招聘を受けて上海に行ってきた。

 上海に到着する飛行機から外を眺めていると、夕日で真っ赤に染まった海に点々と風力発電のタービンが突き刺さっていて、まるでエヴァンゲリオンのLCLの海に刺さった十字架のようで、幻想的な光景だった。

 空港から出ているバスに乗り込むと、上海の街並みが車窓を流れて行った。ビルの光がキラキラしていて、寧ろ東京よりも都会然としているように見える。
 他都市と違って上海は空気も澄んでいる。

 中国人は上昇志向が強いから、当然農村等経済的にビハインドの社会に生まれた者は巻き返しを図るべく都市へ向かおうとする。
 だけど中国人の居住移転の自由は制限されているので、生まれが農村だと中々貧困から脱することができず、経済状況が連鎖する。日本も金持ちの家庭に生まれるか貧乏な家庭に生まれるかで与えられる状況には雲泥の差があるけれど、命までは取られない。中国では取られる。そういう差があるのだという。
 だから農村生まれの中国人の友人は、上海で働くことを「全中国人の夢だ」と言った。
 その気になればおれはそんな夢の土地で働くことができる。日本という国に生まれた自分の幸福を思う。

 今後、日本が国家として中国を打ち倒すことは無いと思う。
 高齢者や障碍者みたいな弱者を容易く棄民するだけのダイナミズムがあるからだ。
 だけどそれは個人としての勝利とはまた別の話なのだと思う。

 勿論、長期的にはそれさえどうなるかわからないけれど。

 

f:id:datchang:20190210094732j:plain

 

 これからどんどん膨張していくことが見込まれる国の中心都市だけあって、街には色んな国の人たちが色んな国の言葉で話して、色んな国の料理を食べながら歩いている。
 先進的なのに、一方ではジャンクパーツや海賊版みたいな違法すれすれの商品を取り扱う電気城がそこかしこに点在していて本当に魅力的な街だと思う。
 東京で暮らすのと変わらないくらい便利だ。

 だけど、それじゃあ東京で働くのと一体何が違うんだよ。
 東京より低い給料で働いて、東京より劣る暮らしをして、だけど衰退国の日本人であることで仕事上の優位性も無く、言語だって当然不自由で、それでその後何がどうなるっていうんだろう。

 東京での暮らしは心を擦り減らす。正直もう嫌だ、限界だと何度も思ってきた。だけど他の国に行ったって希望なんてあるんだろうか。
 数年中国で、ほかの国で生き永らえて、その後契約を切られて日本に逃げ帰ってきたとして、そこに待ってる生活は今よりもっと酷いんじゃないだろうか。そのときには若ささえ失っている。
 結局、おれが悪いんだろうか。日本でさえ生きられないような人間は、由来この世界に向いてないんじゃないんだろうか。

 ただ見えない明日へ踏み出すのが恐ろしい。何も持っていないくせに、死んでもいいと思っているくせに、失うものの大きさに尻込みして、その日も目の前にあったかもしれないチャンスを見送った。

 

f:id:datchang:20190210094655j:plain