祖父の友人の話

 

 1950年代の終わり、東京の新橋。
 男は友人から流行らないバーを買い受け、経営を始めた。
 それは後から考えてみれば半分酔狂のような雑な経営で、当然バーが赤字から回復することはなかった。

 男には投機癖があった。
 焦った男は、バーの経営を補填したい一心で先物相場に手を出した。だが、結局のところ逆に借金を大きくする結果になった。
 それは到底返せない金額になっていた。

 当時は民事再生等の債務整理の法整備も進んでいなかった。
 といって男に会社勤めができるわけもなく、付き合っていた女と夜逃げすることにしたのである。


 とある漁港の小さい町、そこは女の出身地だった。
 女はそこで中学校の教師をしていた。そのツテもあって、男は英語の非常勤の職にありついた。
 確かに相場や経営のように派手で贅沢な暮らしはできなかったが、教師二人の暮らしは安定していたし、港町は平和だった。そうして安穏とした日々を送るうち、男の野心も次第にナリを潜めていった。

 ところでその頃おれの祖父は港町で商売をしていたのだが、人生にやりきれないイチモツを抱えていて政治活動に精を出すようになっていた。
 その中で祖父と男は出会うことになる。
 女の父親は港町で市議会議員(のち県議会議員)をしていたのだが、男も色々と世話になっている手前、政治活動にかり出されていたのである。


 そんなとき、ある編集者が男の投稿した「しかかり」の小説に目を付けていた。
 東京にいた頃、男は物語を書くのが好きで、雑誌に投稿するようなことをよくしていたのだった。
 「これは売れる」と確信した編集者は、わざわざ男を探し出し、東京から港町に通って男に小説の続きを書くよう説得した。それは官能小説だった。
 教師という聖職者でありながらそんなものを書くことに躊躇がないこともなかったが、結局男は教師をしながら小説を書いた。

 その小説は、爆発的に売れたのである。

 男は小説を書き続け、売れに売れた。
 一躍売れっ子作家となったことで男の萎れていた野心は爆発し、港町も女も捨て、東京に舞い戻ることになる。

 東京は目黒に豪邸を構えた。再婚もした。
 投機癖も治らず相場は張り続けていたが、それを補って余りある原稿料が入っていたのである。
 だが小説を書き続けるのは体力勝負のようなところがあり、少し嫌気がさして来ていた。

 そこで、有り金をはたいて知り合いの出版会社を購入したのである。
 小説も断筆宣言し、後は安穏と経営者としての暮らしを満喫しようと考えていた。
 だが、結局男に経営は務まらなかった。

 会社は倒産し、男は借金を背負い、財産のことごとくを手放すことになった。
 そしてボロ屋で失意の晩年を過ごすことになり、その生涯を終えた。

 男の名前は団鬼六という。


「お前は、団鬼六に似てるところがあるなぁ」

 きっと見ていて性格的に近いものがあったのだろう、祖父がしみじみとそんなことを言うと、祖母が血相を変えて
「あんたは子供になんてこというの!」と怒っていた。
 なるほど団鬼六はSM小説の大家なのである。

 そして祖父の言うとおり、おれは起業にも先物にも失敗し住む家を追われることになった。
 だけど同時に、おれにも文章を書く趣味があるのである。

 こうしてここにやる方ない思いを書き出すようになって、文章を褒められることが増えた。その度に、新橋から逃げ出した団鬼六のことを思い出す。
 あのとき鬼六は30歳、そしておれも30歳なのである。
 未熟だということはわかってはいるけれど、書き続けていれば誰かが自分のことを見つけてくれるかもしれないと思うようになった。
 何者かになるチャンスが巡ってくるかもしれない。
 
 そんなことを少し、ほんの少しだけど、期待してしまう。