粗野に扱っていい人
「粗野な人間がいるわけではない。粗野に扱って良い人間がいるだけだ。」
とそんなことを言ったのは誰だっただろう。たまにこの言葉を思い出しては、それこそ正に自分のことだと思いいたる。
先日デートをドタキャンしたあの女の子もきっと、大事な人が相手なら無断で約束を反故にするようなこともなかっただろう。
けれどそれは異性の優越的な立場があってこそ成立するものなのであって、男だろうが女だろうが友人たちにとっての私はそうではない、と思っていた。だからこそ、少ないながら友人のことは私なりに大事にしてきたつもりだ。
*
N子とは3年前、出会いアプリで知り合った。
国際協力関係だっただろうか、それなりにインテリの仕事をしていた。結局付き合うことはなかったけれど、たまには合コンに誘ってくれることもあったし、職場が近かったから二人で飲むことも度々あった。
出会ってから暫くして彼女が結婚したときには、N子の婚活卒業を二人で祝った。
それ以来、疎遠になった。お互い基本的には夜しか空いていないから、既婚者となったN子と二人で会うことは憚られた。といって共通の友人がいるわけでもなく、また無理に会う理由もなかった。
月日が流れ、LINEの通知に見覚えのあるアイコンが現れたのは先週のことだ。
「N子だよ、最近どうしてる?未だに独身なのかい?たまには話をしよう。」
大枠ではそんなことで、流れのまま本日N子と再会することとなった。
最後に会った日に飲んだ酒は美味しかった。何年も疎遠にしていたって、きっと時間が止まった関係性のまま楽しく話せるだろう。そして何より誰の特別にもなれない身のすさびには、友人が誰かと話したい夜に指名してくれることの有難さがある種の救いのように感ぜられた。
錦糸町駅から徒歩数分のビル地下にあるおでん屋で待ち合わせ、再会したN子にタイの土産を手渡した。「相変わらずマメなのねぇ」と笑うN子は少し髪型が変わっていたくらいで3年前のままだった。
梅酒で乾杯し、色んな話をした。彼女は仕事の現況、確定申告が面倒くさくて匙を投げていること。
私は借金で首が回らなくなってしまったこと、ADHDだと判ったこと、タイでの事件や、婚活のアポを五連でドタキャンされたこと、せっかくホテルに連れ込んだ女の子に逃げられたこと、その他あれやこれや。促されるまま私が話している間、N子は手を叩いて笑っていた。
「何か、おれだけ喋ってない?」
気付いてそう訊くと、「うーん」と唸ってN子は言った。
「実は私、離婚したんだ。姑との関係がうまく行かなくて」
いかに元旦那が姑の肩を持ち自分をないがしろにしたのか、という話をN子がする間、いぶりがっこをつまみに酒を飲んだ。子供がいないから、さっさと次に進みたいと思って離婚を決断したんだという。
「まあまあ、私まだギリ20代だからさぁ~」
そういって私のいぶりがっこを取り上げた。「あ、お前!」というと、
「だっちゃんが相変わらず不幸で何かほっとした。ごめんね。私、自分より不幸な人を見て安心したいって思っちゃったんだ。」
「自分の方がマシだと思ったでしょ」
「予想通りで笑ったよ。だっちゃんは本当に幸せにはなれないねえ」
「難しいね。一応アポは頑張って作ってるんだけどさ」
「諦めた方が良いよ。今日バレンタインのチョコもってこようかと思ったんだけどさ、勘違いされても困るし、やめた」
そこから延々と私のいかに至らないかについて滔滔と語り始めるN子を見て、私は疲れて眠くなってきてしまった。
*
N子から半額分の札を受け取りレジで会計している間、N子が斜め後ろから言った。
「ごめんね。付き合わせちゃって。」
「いいよ、そういう日もあるから。おれにもあるし。」
「私がだっちゃんなら、とっくに死んでるなって思ったわ。」
そういう風に思われることには慣れてるよ、と言おうとして踏み止まった。目を合わせていなくて良かった。
「もう一軒いかない?」
「N子、自分の顔トイレでみた?真っ赤だよ。お開きにしよう、おれはまたいつでも付き合うから。」
「だっちゃんには彼女できないからね。借金あるし」
「うるさいんだよ、早く帰れ、酔っ払い。」
彼女は酔ってはいたけれど、決して顔が赤くなんてなかった。ただもう、一緒にいるのがしんどくなってしまった。N子を改札に送り出してから、そのまま一人で立ち飲みのバーに入って電子書籍を暫く読んだけれど、あまり頭に入って来なかった。
彼女にとって、かつて私は確かに友人だったんだろう。今夜のように私の不幸をいたずらにあげつらうことも、私の不幸を期待して話を聞きに来るようなことも無かった。
今では感情を吐き捨てるだけのゴミ箱で、ああ自分の方がマシなんだと思う為の身近な物差しに過ぎない存在となってしまった。誰かに気持ちを吐き出したい、そして誰かの人生のいたらなさを責め上げたい日もあるかもしれない。けれど、失えない相手には言い留まるものだ。
そして私を責め上げる思いつく限り全ての言葉を口にしたとき、きっとN子はこう思っていたはずだ。
私がもうこれ以上友人を失いたくないと思っていること、だから何を言っても最低限謝れば許されること、そして最悪私との関係を失うことになったとしても、数年疎遠な男友達を一人くらい失ったって痛くも痒くもないということを。
イライラしながらLINEの名簿をスクロールしたけれど、私には思うまま責め上げ感情を吐き出していい相手なんて、つまるところ私の方から失って良いと思う関係なんてないのだと判った。とそのようなことを相手に気取られてしまうから、今日のN子がしたように私はただ感情を吐き捨てるゴミ箱となるしかないんだろう。
つまり誰の特別でもないとはそういうことだ。自分が誰かの特別な存在だという自負があるから、自分を粗野に扱う誰かを容易く切っても孤独にならないと確信していられるのだ。私はそうではない。
スマホの通知を見ると、「また飲もうね!」とN子からLINEが来ていた。「早くお休み」と返事をし、彼女の名前をLINEから消した。