死に至る病について


「おはよ」
 彼女が勢いよくカーテンを明けると、陽光が差し込んできた。部屋の空気を温かく照らし、さらさら流れているのがわかる。
「この部屋、眺め良いね」
「そう?うん、南向きだからかな」
 ベッドに寝そべり空を見あげると、白い雲が風に流され少しずつ動いていた。このままあの雲の行く末を見届けたいけれど、そうはいかない。会社へ行かなければならない。
 なんとか布団から抜け出してスーツに着替えながら、以前にもこんな景色を見たことを思い出していた。それは消してしまいたい、忌まわしい日々についての記憶だ。


 5年前、当時住んでいた下町の安アパートで洗濯機のすすぎ終了を知らせるアラートがけたたましく鳴っていた。急かされているようで腹立たしく無視してみる。が、「そろそろ止んでくれるだろう」と思った頃を過ぎてもアラートが止まらない。やがて根負けして、不機嫌な気持ちのままカゴを片手に洗い物を取り込み、ベランダに干していく。
 忌まわしいのはYシャツだった。皺をパッと払ってから、針金のハンガーにかけていく。これは月曜に着たもの、これは火曜、これは水、木、金、とその1枚1枚が、まるで「また今週も何の進捗もない無駄な人生だったよな」と突き付けてくるようで、苦痛を感じた。
 溜息つきつつ干し終わり、部屋の隅に積み上げた文庫本をとって万年床に横になる。そうしてベランダを見上げると、快晴の陽光が5枚のYシャツの白さを発色していて、風になびくさまがとても絵になるな、と思った。そのことがかえって私には、自分の心の暗澹さを際立たせるようで不愉快だった。
 あの部屋には2年もいたんだから、勿論雨や曇りの週末だってあったはずだ。それでも私が覚えているのはいつも薄暗い室内で、しかし外は快晴だった。


 就職し、間もなく婚活を始めた。合コンや街コンはあまり手ごたえが芳しくなく、そんな状況を嘆いていると当時親しかった女友達から出会いアプリpairsを紹介された。
 ものは試しと登録し、実際に何人か会ってみた。けれど、暫くは不発が続いた。そして数か月経った春頃、M咲と出会った。
 彼女は同い年で長身細身の色白な美人で、美大出身のデザイナーだった。
 優しく猫好きで、絵画だけでなく作曲にも造詣の深い彼女と、言葉や詞で表現することに関心のある私は話も合った。
 2回目のデートで気持ちを伝えるとすぐに付き合うことになった。料理も上手で、デートの度に手作りのお菓子を作ってくれた。
 いつも何かを諦めたような目をしていて、それでも彼女は私の良い所を目ざとく見つけては、優しく褒めてくれるのだった。人に褒められ慣れてない私が「きっとこの人しかいないんだ」と思うのに時間はかからなかった。


 しかし蜜月も長くは続かなかった。
 ある日、彼女から池袋サンシャイン水族館の入口にあるカフェに呼び出された。思い詰めた表情の彼女から聞かされたのは、要約するとこのようなことだった。
「私は過去の経験から男性恐怖症で、あなたが相手なら症状は起こらないと思っていた。しかし先日のデートでキスして以来、体調が悪化し日常生活にも支障が出るようになり、母からも別れを告げて来るよう言われた。あなたは私には勿体ない人だし、きっとすぐ良い人ができる。だから、私のことはどうか忘れて欲しい。」

 私は動揺して色々弁解の言葉を探したけれど取りつく島もなく、つい口を滑らせた。
「わかった、体調が悪いということだから取り合えず別れたことにして、距離をとってからまたやり直す方法を探ってみようよ」
 言い終わるが早いか、「では、別れるということで決まりですね。」と彼女は早足にその場を立ち去って行った。しばし呆然としたけれど、すぐに彼女のあとを追いかけた。
「また会えるよね?一応、友達ではいられるんだよね?」と問いかけると、
「いいえ、中途半端は良くないと思います。」ときっぱり断られてしまった。
 雑踏のなか立ちすくみ、彼女の背中を見送った。間もなくLINEもブロックされた。


 それから数か月、何とかM咲のことを忘れようと婚活を続けたけれど、女友達はできても恋人はできないでいた。その分、M咲への気持ちがどんどん強くなっていくのを感じていた。

 ある人肌恋しい夜があり、普段行かない下町のソープに出かけた。
 40代と思しきソープ嬢が現れ、私の表情を見るなり「悩みが深そうね」と言うのだった。M咲との経緯を話すと、女は「バカね」と言った。
「そんなの、彼女の職場の最寄駅で待ち伏せして、彼女を捕まえて土下座するの。「あなたのことが忘れられません、やり直して下さい」って頭下げるんだよ。少しでも情が残ってれば、連絡くらいは取れるようになる。でもそれはあなたのエゴだからね。相手にされなかったら、それきり忘れなさい。」
 ソープ嬢は、「今日は、話聞き代として500円だけ貰うわ。もしダメだったらまた来てね。」と優しく裏口から逃がしてくれた。


 しばらくして、私は乃木坂駅にいた。
 季節は秋に差し掛かり、コンクリート打ちっぱなしの地下鉄構内には、いつも電車の巻き起こす冷たい風が吹いている。ベンチで文庫本片手にその寒さに震え、ただただ惨めを身に染みていた。
 私には理由が必要だった。自分のしていることを正当化する理由だ、いつかは判らないけど、誰かに申し開きをしてみろと突き付けられたときの為に。
 ソープ嬢の言葉だけじゃない。理由を探せばM咲が話してくれた祖父母の話まで掘り出した。


 M咲の祖父は検察官だった。
 ある日、仕事で警察署を訪問しているときに盗難の被害届を出しに来た女性を見かけ、一目惚れした。彼は担当刑事から彼女の個人情報を強引に聞き出すと、連日彼女の家におしかけアプローチし、結果が実り結婚に至ったという、おおらかな時代の話だ。
「私、恋愛とか苦手だから、そういうのに憧れるんです。」と彼女が言っていたことを覚えていた。


 だからといって現代で実践するには許されるはずの無いストーカー行為について、私は「一目会うだけだから」と言い聞かせその醜さに目を瞑った。
 彼女の会社の最寄駅は複数あり、聞いていた彼女の退勤時間は深夜だった。赤坂駅、霞ヶ関駅、六本木駅、とにかく彼女の通りそうな駅に、時間を見つけては顔を出して、いつか彼女に会い、思いを伝えることを期待していた。
 そんな私に呆れた女友達の多くは私と縁を切り、残った女友達からも「私はだっちゃんの友達だから、だっちゃんが満足ならM咲ちゃんが不幸になっても関係ない。」などという温情によって辛うじて許されていた。


 季節は冬になり、年末のある日、M咲を見つけた。その驚きによって身体が硬直し、心臓が早鐘を打った。
 最後に別れた日から半年以上の月日が流れた。彼女は私を覚えているだろうか?急に話しかけられたらどう思うだろう?何度も反芻した筈の疑問が溢れてきた。だけど、これを逃したら次へ進めない。
「M咲さん!」
 意を決して声をかけると、最初「ん?」という表情をした彼女の目がみるみる開かれていった。決心したようにすぐ無表情になり立ち去ろうとする彼女の前に出て、頭を下げた。
「貴女のことを忘れられないんです。やり直して下さい、お願いします」


 あれから数年経ち、ふと思い立ってFBを見ると、ウェディングドレスに身を包み教会で家族から祝福を受けるM咲の姿があった。
 そうか、結婚したんだなあ、と思った。

 数年前のあの日、頭を下げる私にM咲は
「お付き合いしてる人がいるんです。もう、私の前に姿を見せないで下さい。」と告げ、雑踏の中に消えて行った。あれから、もう二度と会うことはなかった。
 男性恐怖症の話がウソか本当か、本当であったとしても乗り越えたのかもしれないけれど、いずれにしても私のしたことはただの異常行動で、彼女を怖がらせただけだった。
 私が誰からも愛されないことに苦しみ続けるのは理不尽なんかでは決してない。単に存在するだけで害悪の異常な人間だからなのだ、と確信した。
 その頃、かつて交際していた女を度重なるストーカー行為の果てに男が殺した事件が連日報道されていた。
 私は自分を恐ろしいと思った。あちら側の人間なのだと思った。
 ヤマアラシのジレンマのように、私が他人に好意を向けること、表現することそのものが害悪なのだと思った。受け入れられないこと、相手を傷つけること、どちらも恐ろしくてたまらない。


 先日投稿したエントリ「粗野に扱っていい人」は同様の経験をした方が少なくないようで、共感のリプライやDMを何件も頂戴した。その中に、余程わたしの有様が哀愁を誘ったということなのか
「今夜、うちに泊まりに来る?添い寝する?」
 とそういうDMを送ってくれる女性がいた。
 一も二もなく彼女のマンションの近所で待ち合わせ、まんまと闖入することにあいなったのである。
 好きな男がいると言う彼女と、布団で横になりながら朝の3時まで話した。暫くして彼女が寝息を立て眠りにつく。寝返りをうち、こちらを向いたその寝顔を見ていると、赤子のように無防備で、なんて可愛らしいのだろうと思った。
 彼女の上に手を載せると、体温や鼓動を感じ安心を覚えた。男が女と褥をともにすることの、生物としての自然さを思うた。

 まもなく朝が来て、スーツを羽織り彼女の部屋を去るとき、彼女が
「今日は、死なないでね」と優しく送り出してくれた。私は、寂しくてとても一人では生きてはゆけないと思った。
 それでも私は、自分が他人を愛する価値の無い人間だということを誰より深く知っている。
 こんな矛盾を抱え茫漠として過ごすには、なんて人生は長いんだろうと思った。