私たちの望むものは

 一

 

「もう、殺して。」

 とそういうことを彼女に言われたのは、一度や二度のことではない。私はその度、

「そのときが来たら、オレがやってやるよ。」

 と返すのだった。

「約束だからね。」

 と言う彼女に、

「約束するから、勝手に死なないでね。」

 と返していた。

 私たちは何がなくとも「死にたい、死にたい。」などと年がら年じゅう口にして、「もう疲れたよね。」などと言いあっては互いを慰め合う関係だった。

 死ねば現在の苦しみから解放される、最後の手段がある、というそのこと自体が救いだった。けれど、もうそんな段階はとうに過ぎてしまっていた。私たちの日常には、いつも傍らに死があった。

 H子とは5年前、婚活していたときに知り合った。学年は私のひとつ上で、3月17日生まれ。誕生日は日にちが私と同じだったから、すぐに覚えることができた。

 LINEを交換したあと何度かデートを重ねたものの、お互い失恋したてで未練たらたらだったこともあり、付き合うことはなかった。その後おのおの別の異性と付き合うことになり、私たちは気心の知れた相談相手となった。

 170cm近い長身に長髪をなびかせ、タイトな服とミニスカートをいつも好んで身に着けていた。一見して派手な服装と絵に描いたようなナイスバディだったので、一緒に歩いているとナンパされることも少なくなかった。

 東北にある田舎村落の母子家庭出身で高校中退という、金銭的にも環境的にも決して恵まれた出自とはいえない。にも関わらず、独学で高卒認定試験を受け、偏差値70近い私立大学の理系学部を現役ストレートで卒業した。

 就活のためTOEICを始めたと思えば間を置かずに800点台を叩きだし、簿記を始めたと思えばふた月足らずで2級に合格した。

 就職氷河期に巻き込まれブラック企業や非正規職を転々としていたけれど、西新宿にある都市銀行の契約から正規雇用に登用される狭き門を通り、正社員として働いていた。

 彼女は美しく、聡明な努力家だった。だが、その自負が彼女自身を苦しめることになる。

 かつて彼女には目指した夢があり、深く愛した人がいたらしい。しかしそのどちらも叶うことはなかった。

 私たちはよく似ていた。真面目な割に要領が悪くて、卑屈で報われない人生を送っていること、いつも愛されたい人に愛されないこと、その結果、うつうつとした人間性を獲得してしまったこと等々、根本の部分において。

 だから話がよく合った。

 知り合ってから5年の間、ささいなことから重大なことまで毎日のようにLINEをした。やりとりをした文章は、きっと数万通ではきかない。

 やがて互いに信頼し合うようになり、私たちは親友になった。親しくなってからも名前を「さん付け」で呼び合うクセは抜けなかった。

 私たちは旅行くらいが唯一の趣味だったから、休みが合う度、一緒に海外旅行へ出かけた。

 どちらからともなくネットで旅券を調べ、「5日間で8万円って、安くない?!」などと言い出して、貧乏旅行をした。フランス、台湾、韓国、その他国内、それは彼女が結婚するまで続いた。

 いつも大して広くもない小汚いツインの一室で過ごした。同じ部屋に寝泊まりしても、私たちに肉体関係はなかった。お互い何かを匂わせるようなこともなかったし、プラトニックでいることがずっと一緒にいる術なのだと理解していた。

 友人同士でいたから過度に期待し合わず、丁度良い距離感でいられた。語学力や異国を歩き回る体力、好奇心や急場の対応力が同じくらいだったから、絶妙のコンビネーションで補い合い、毎回思うままの旅をすることができた。旅先で揉めたことはほとんどない。

 旅をしている間だけは、日本で自分の身にふりかかったこと、或いはこれからふりかかるであろうあれこれを忘れることができた。

 けれど結局、それは一時的な現実逃避に過ぎない。どの国に何日一緒に行ったとしても、私たちの人生が根治されるようなことはなかった。

 私たちは気持ちをちゃんと言葉にして伝えることの大事さを知っていた。お互いが大事な存在であり、報われない人生ではあるけれど、少なくとも得難い友人を得たというただその一点については間違いなく恵まれているんだと、しつこいくらい言葉にしていたし、彼女も言葉にしてくれた。

「死にたい、死にたい。」とは言い合うものの、それはさておき私はあなたが死んだら辛いし悲しいし、寂しいんだということを伝え合った。それはまるでこの世に魂をつなぎ止めるもやいのようなものだ。

 けれど私たちが本当に欲しいものは、お互いに満たし合うことがどうしてもできないものだった。

 

 二

 

 私たちは婚活仲間でもあったから、どちらかがフリーになったタイミングで知り合いの異性を紹介し合うようなこともしていた。

 あるとき私はH子に、八木という三十路半ばの友人を紹介した。街コンで知り合って以来、飲み友だちとして付き合っていた男だ。一流国立大学の出で、一流企業に就職しており、高収入で、経歴に一点の曇りもない。年下の私にも気さくでユーモアもあって、H子が付き合うのに中々悪くないと思った。

 私を含めた三人で食事をしふたりを引き合わせると、思惑どおり彼らは上手くゆき付き合うことになった。

 しかし彼女は、いや私たちは、とことんツキに見放されていた。

 彼らの関係がまだ浅いうちに、H子は八木の子どもを妊娠してしまったのだ。二人とも未だ子どもを持つ覚悟ができておらず、結句、話し合いのすえ堕ろすことになった。

 手術の日、いつものように私は仕事の片手間にH子とLINEをし続けていたが、正午辺りになってラリーが途絶えた。それで、きっと今ごろ手術を受けているのだろうと思った。

 中絶の方法は、中学生の頃に見た性教育の図解で覚えていた。膣に金属製の器具を入れて搔き回し、胎児を液状にして母体から吸い出す。それは想像を絶する苛酷さだと思った。だから、さすがにその日は入院するものだと思っていた。けれどH子は、「日帰りで出来るくらいの手術らしいから、あんまり心配しないで。」と言うのだった。

 東北の片田舎から夢を描いて上京した無垢の少女が、ある日どこの馬の骨とも分からぬ男とできた子どもを中絶する未来なんて一体どうして想像できただろう。H子の屈託のない笑顔に到底似つかわしくない不幸に頭を抱えた。

 せめて独りにしたくないと思い、職場を早退し、H子を迎えに新宿の産婦人科へ行くことにした。きっと強がっているはずの彼女が寄りかかれるよう、強い男として振る舞わなければならないと思った。しかし私という男は、手術の仔細を想像し職場のトイレに駆け込むと、昼に食べたものを嘔吐した。

 夕刻、病院に到着するとH子の手術が終わったばかりだった。担当の女医や看護婦の視線が痛かった。

「来てくれたの。」

 H子は力なく笑った。意識の朦朧としているH子の肩を支えてタクシーに乗せ、当時彼女が住んでいた埼玉県・戸田公園駅近くの家まで送り届けた。

「明日は仕事休みなよ。」

 と伝えたけれど、しかしまるでこんなことは何でもないことなんだと誇示するように、H子は翌日もいつもどおりに出社した。

 後日、私は八木と二人で酒を飲んだ。

 H子が中絶する日の早朝、八木はH子と新宿のカフェで会い25万円を手渡していた。

「最低限の責任は取れたと思えるようにした。」

 八木はそう言って酒をあおった。その物言いがトサカに来た。勿論、今回の妊娠中絶で悪いのは八木だけじゃない。だから彼だけを責めるのはお門違いだと解っていた。解っていたが、それでも、どうしても言葉が刺々しくなった。

「中絶費用は安くないですけど、痛みを味わわないだけ男は十分お得です。25万くらい、大したことじゃありませんよ。」

「わかってる、しばらく自重するよ。」

「しばらくとは何だ、こんなことが何度もあって堪るか!」と怒鳴りたかったが、しかし口にはしなかった。そして一息ついて八木は言った。

「彼女、イイ人過ぎるね。めちゃくちゃ罵ってくれたら、その方が俺も救われたのに、何も言われなかった。逆に謝られちゃったよ。」

「八木さん、救われたいなんて思ったらダメですよ。これから背負っていって下さい。」

 その日、八木は珍しくしたたかに泥酔し、路傍に安くない酒と肴をぶちまけていた。

 中絶をする理由は世の中に数多あるから、その承諾書に男の名前はかならずしも必要ではないらしい。そんなことで八木はH子の手術には付き合わず、その日の朝も会社へと出勤した。

 他人の関係性に感情移入することは僭越なのだと理解はしている。けれど、H子より仕事を優先する八木の振る舞いを私は非道のように思った。

 そして結局、それで二人の関係は終わった。

 手術によって傷ついた身体を引きずりながらフルタイムで勤務していたH子だったけれど、悪いことは重なる。

 その時期、職場の上司が異動で代わりH子はパワハラを受けるようになっていた。

 働いていた都市銀行で、H子は窓口業務を担当していたが、しかし口下手なH子の営業成績は決して芳しいものではなかった。目標とされた営業ノルマが未達であれば、担当として扱う保険やらの商品を自分で購入しノルマに充当しなければならない。いわゆる自爆営業を求められた。勿論その分が会社から補填されることはなく、単に可処分所得が目減りした。

 それでもなおノルマが未達であれば、もはや人間扱いは望めない。ほんの些細なミスを摘示されては責め上げられ、貶されることになる。その分窓口業務に出られる時間が少なくなり、また次のノルマも未達に終わるという負のループに入ってしまっていた。

 産婦人科に通うため何度も会社を早退しなくてはいけなくなったこと、手術のために仕事を休んだことをプレッシャーに負けてサボったのだろうと指弾され、肉体の痛みを抱えて動きが緩慢になっているところを邪魔だと押しのけられた。

 けれど、信用していない職場の人間に中絶のような弱みを釈明するわけにはいかなかった。

 人には誰しも語らない不幸がある。そんなことは当然誰もが知ることなのに、しかし他人が抱えてしまったかもしれない不幸の存在には、誰もがお構いなしなのだ。

 そんな日々を送っているうちに、H子は次第に心を持ち崩し弱っていった。しかしそれを案ずるようなお人好しは職場にはいなかった。

 ただ、彼女が心を壊してもう使い物にならないかもしれないから、新しく派遣さんを採用しなければならないんじゃないか、という酷薄でただならない噂が流れただけだった。

 H子は結局、それからしばらくして仕事を辞めた。

 

 三

 

 後日、私とH子は有楽町のカフェで落ち合った。

 私がコーヒーを頼むと、H子は、

「何も要らない、水でいい。」

 といって何も選ばなかった。とはいえ人数分は注文しなければならず、私は自分用にコーヒーを二杯頼んだ。

「職場の居場所も、健康な心と身体もなくなっちゃった。本当は子どもが生める身体だったのに、もう無理かもしれない。」

「手術の前、看護婦さんに『誰も迎えは来ない。』って言ったら、看護婦さん、哀れなものを見るような顔をしてたの、忘れない。惨めだった。」

 H子は始終その悲しみを口にし続けていた。

「だからね、あなたが待合室にいたの、泣きそうになった。助かった。」

 そもそも八木を紹介したのは私なのだ。因果を辿れば、私がいなければこんなことにならなかった。そのことに思い至らないH子ではないはずだ。しかし私に恨み辛みが向けられることはなく、そのことを居心地悪く思った。

「エコーなんてさぁ、こんなもの貰ったんだけど、どうしたらいいの?」

 捨てるのも持っているのも辛い、と言ってH子は胎児の写ったエコーの写真をピラピラさせて見せるのだった。

「良かったらオレがしばらく預かるよ。預かるから、早く仕舞いな。」

 それは埋め合わせでもあったけれど、H子は呆れたような声で言った。

「あのねぇ、止めなよ。水子の怨念が籠ってるんだからね。」

「自分でそんなこと言うなよ。怨念なんかオレには効かないよ。」

「あなたって本当に不思議な人。普通、そんな面倒臭いこと引き受けないよ。」

 H子は笑った。

「最近、よく考えるんだ。あなたが私の前に現れたのには、何か意味があるんじゃないかって。だからあの子が私に降りて来てくれたのにも、きっと意味があるんだって。」

 H子は日頃から子どもは嫌いだ、要らないと口にしていた。

 しかし実際に妊娠を経験してからは、子どもの目線で物を語ることが増え、「降りて来てくれた。」だなんて言うようにもなった。女というのはそういうものなのだろうか。少なくとも私には、彼女が自分で言うほど「母親になれるような器じゃない。」とは到底思えなかった。

「ずっと自暴自棄に生きて来たからかな。私のことを戒めるために降りて来てくれたのかな。」

 結局、私はエコーを預かることにした。 

 仕事を辞めたH子は転職活動を始めた。

 手術以来体調を崩し、職も失い、H子の置かれた状況は楽ではなかった。そういうものから目を背けるように、H子は転職活動に没頭していたが、しかしアガリ症な彼女の転職は中々上手くゆかなかった。

 見かねた私は、彼女のエントリーシート作成や面接の模擬練習に付き合うようになった。毎週末、朝から晩までカラオケに籠り面接する企業の対策に七転八倒した。

 二人で一通エントリーシートを書き上げる度に、私たちは大袈裟に喜んだ。少しでも不幸を忘れられるように。

 面接の練習で試験官役の私がふざけた質問をして、H子が思わず吹き出す。私もふざけるのに必死だった。そうして彼女が笑う度に息が吹き込まれ、少しずつ生き返っていくように感じていた。

 しばらく抜け殻のようだったH子も、数週間も経つと元気を取り戻しているように見えた。

「あなたはどうして弊社を志望したんですか、だって。うるせ~、お金に決まってるじゃんね。」

 私が疲れてそういうことをこぼすと、

「ちょっと静かにして!いま名案が思いつきそうなの!」 

 などといって怒られるようにもなった。

「わたしね、色々考えたんだけど、あなたと一緒に働きたいの。」 

 そんな日々を送ってしばらく経った頃、H子が思い切ったように切り出した。私の勤める政府系金融機関の求人募集を私に見せ、

「やっぱ、ダメかな?」

 とはにかむH子に、私はかぶりを振った。

「勿論ダメじゃないよ。挑戦してみよう。」

 私の職場も志望倍率は百数十倍を下らない。けれど、現に私はそれをくぐり抜けて働いているのだから勘所は判る。現実的な目標だと思った。

 私の職場に狙いを定めてから、H子は一層真面目に対策に打ち込んだ。そしてしばらく経ったある日、H子から電話が掛かって来た。

「実はね、発表があります!何と書類選考と一次面接に通ったのです!次は役員面接だって!」

「おお!おめでとう!」

 役員面接まで残ることができるのは、ほんの数人しかいない。ここまでくれば倍率は2倍以下だった。

「あなたのお陰だね。」

「いいや、H子の実力だよ。」

 うん。といってH子は笑った。

「これでさ、本当に受かっちゃったら笑うよね。そんなこと、あるのかな。そうなったら良いな。」

「ここまで来たら全然あるよね。」

「あなたがいなかったら、わたし独りだった。中絶のことだって、親にも言えないことだから。いつもずっと一緒にいてくれてありがとう。」

 H子が電話口で泣き始めた。あんなことがあっても、今日まで一度も泣いた顔を見せていなかった。 やっと、やってきたことが結果として出つつあった。私たちは、これでやっと次のフェーズに進めると思っていた。

「オレ、東北ほとんど行ったことないんだ。故郷には実家のお墓あるんでしょ?案内してよ。そのときエコーも供養しよう。」

「さすがにあんな田舎まで来て貰ったら悪いよ。」

「そんなことはない。温泉にも入れるし、良い骨休めになりそうな気がする。」

 H子は笑った。

「そうだね、悪くない。一緒に見て回ろう。まずは花巻温泉かなあ。」

 でも結局、H子は私の職場には受からなかった。そして私たちがその話題を口にすることはもう二度となかった。

 ある日エコーについて、「もう要らないから、捨てるか返してくれればいいよ。」と言われたけれど、私は捨ても返しもしなかった。

 

 四

 

 その後、非正規の仕事を転々としているうちに、H子は自分が会社のような組織につくづく向いていない人間なのだと確信するようになり、そのうち働こうという意欲もなくなってしまった。

 しばらく貯金を切り崩しながら一人で国内を旅していたH子だったけれど、あるとき知り合いに紹介された男性と結婚し、専業主婦となった。

 それは「結婚すれば何かが変わるかもしれない。」という、どちらかといえば消極的な結婚だった。年齢も三十路前となり焦っていた側面は否めない。しかし妥協的であったとしても、少なくとも結婚に値する男と結ばれたのだ。最低限、食い扶持に苛まれることはない。だから私は、それはそれで目出度いことなのではないかと呑気にも思っていた。

 しかし夫婦仲はあまり上手くはゆかなかった。旦那さんにもH子にも、何か特別悪いところがあったというわけではない。

 ただ二人とも少しマジメすぎたから、日常の数多ある些細な軋轢を無視することができなかった。次第に旦那さんはH子の一挙手一投足に怯えるようになり、H子もまた、自分の態度が旦那さんを追い詰めてしまうことを気に病むようになっていった。

 ところで私はといえば相変わらず独り身で、事業を興し損ねた挙句、先物に手を出し数千万円という多額の借財を重ねていた。日々口に糊することさえままならない有り様と成り果て、私の周りからは友人も女も蜘蛛の子を散らすように離れてゆくのだった。

 そんなことを私はH子に伝えたことはなかった。けれどある日、言外に私の窮地を察した彼女が山のように食糧を送ってくれたことがあり、私を心配してくれる他人がこの世にいることの有難さを思った。

 それでしばらく凌いでいるうち、まんまと会社員として再び働き始めるようになった。爪に火を灯すようなものではあったけれど、徐々に生活は回るようになっていった。

 その後、旦那さんの転勤に合わせてH子が地方住みとなってから、私たちが直接会う機会は少なくなっていた。けれど日々LINEで連絡をとるような関係は続けていた。

 専業主婦となり外界との関りがなくなったためか、H子の「どうなっても構わない。」然としてやさぐれた言動は、婚前より拍車がかかっていった。

 といって改めて働きに出たり、何かサークルのようなものに嵩じる場所も地方の田舎ゆえに転勤先にはなかった。元々そういう退屈さを嫌って上京したH子にとって、田舎暮らしは苦痛以外の何ものでもなかった。そうして、H子が結婚してから2年の月日が流れた。

 ある日、用事があるといって東京に来たH子から連絡が来て、食事をした。

 平日の昼間、人影もまばらな有楽町のファミレスで、H子はドリンクバーも頼まずお冷やだけでしばいていた。久しぶりに会ったH子はやつれた顔をしていて、随分な寝不足であることが伺われた。

「何か、悩んでるんだね。」

 と訊くと、また子どもを妊娠中絶したことを知らされた。それは旦那さんとの子どもだった。

「つわりが酷くてね。わたしイカれてるでしょ。」

「男のオレにつわりのことはよく分らないから、何とも言えないよ。」

「つわりが酷くて、何も出来なかったの。それで横になってたら、旦那に酷いこと言われて。彼は私が妊娠していることにも気づいてなかった。それで、ああ、この人のもとで子どもを育てるのは無理だって思ったの。あなたには、この話はしておこうと思ってね。」

 彼女の精神からミシミシと軋む音がしているのは判っていた。けれど、私にできることは何もなかった。そのことが歯がゆい、と伝えると、

「そんなの、あなたの周りの人もみんなあなたにそう思ってるんだよ。」

 と言われ、返す言葉がなかった。

 

 五

 

 今年になり新年早々、H子から「もう限界なんだ。」と告白された。

 一昨年、無一文になった頃、私はH子の預かり知らないところで自殺を幾度か図り、いずれも失敗していた。けれど彼女もまた同様にして私の預かり知らないところで未遂を経験していたらしい。だからH子は私の窮状を察し、手を差し伸べることができたのかもしれない。 

 かつて私たちは、理想の死に方について語り合ったことがある。

 それは、睡眠薬と酒を飲み昏睡状態になったH子を私が絞殺し、私はその勢いで同じく睡眠薬と酒を飲み首を吊る、というものだ。H子は苦も無く美しい体のまま確実に死ぬことができ、私は死ぬのに足りない勇気を得ることができる。

 とはいえ飽くまで机上の空論であって、話が現実みを帯びてくるといずれ他の話題に移り実行はお流れになるのが大抵のことだった。

 けれど、今回はそうならなかった。

 長年苦痛に耐えてきたけれど、もう耐えきれない。あの方法で私を殺して欲しい、一緒に死んで欲しい、と言われ私は、「わかった。」と応えた。

 3月17日に迎える誕生日で、H子は31歳になる。その前には死にたい、と言った。それは「30歳いっぱいまで頑張って生きたけれど、それでも生きる気にならなかった。」ということを確認し、納得するためなのだと言った。

「ところで、付き合って欲しいことがある。」

 と言われ、後日私たちは神奈川県・あざみ野駅で待ち合わせをした。

 あざみ野は横浜の住宅エリアで、目的もなく行くような場所ではない。先導して歩いてゆくH子についていった。周囲を見回しスマホで地図を確認しながら背中を丸め、とぼとぼ歩いてゆくその後ろ姿は本来の長身を思わせないほどに小さく、弱々しく見えた。

 一月の凍てつく風に肌が痛み、家の間を吹きすさぶ音がときおりH子の声をかき消した。そのことに、私は苛立ちを覚えた。

「わたしね、腹違いの兄がいるの。それが、この辺に住んでいるらしいのよ。」

「会ってみたいっていうこと?」

「ううん、いいの。ちょっと様子が見たいだけ。」

 H子の父親は自殺で亡くなっていた。その第一発見者はH子だった。

 首を吊っていた父親を見て、幼いH子はよく状況を呑み込むことができずにいた。それで、通報するのが遅れたのかもしれない。父親の死はわたしのせいだったのかもしれない。そのことを、H子はずっと心に仕舞いこんでいた。

 私もまた家族を自殺で亡くしていた。だから気持ちはよく解る。身内の自殺はその血族に暗い影を落とすことになる。私たちは自殺で死ぬ「才能がある。」のかもしれない。そのことが、事ある毎に脳裏にちらつくことになる。H子の心には、いつも何処かに父親の存在が影を落としていた。

 ところでH子の父親はバツ1で、前妻との間に一男をもうけていた。H子は父親の影を追い、暇にあかせて戸籍を調べたりと色々と手を尽し、遂に兄の居場所を調べあげたのだった。

「ここみたい。」

 駅から徒歩十数分、社宅らしきアパートの前でH子は立ち止まった。郵便受けを確認すると、確かにH子の旧姓と同じ苗字があった。

「子どもがいるみたいだね。」

 金属製の無機質な郵便受けの蓋には、人気アニメキャラクターのステッカーが貼られていた。

「そう、幸せなのね。良かった。」

 努めて無感情そうに言うH子に、

「つまりH子は、お兄さんがオレと同じように独り身で打ちひしがれてるんじゃないかって心配していたんだな?」

 と訊くと、H子は破顔した。

「そういうことになるのかもしれないね、悪いけど。」

「全く……。とりあえず、家庭を作って立派にやってるっぽいよね。そりゃ、その中身までは知りようがないけど。」

「来て良かったよ。一応、これで我が一族のDNAは紡がれていくってことね。」

「そうかもしれないけど、それはH子と関係のないことだよ。」

「いいの、関係あるの。気になっていたから、すっきりした。これで心置きなく逝けるよ。」

 その後2月になり、H子は旦那さんとともに台湾へ一週間ほど旅行をすることにした。それは随分前から計画されている予定だった。

 暖かい国へ行けば、あわよくばそれでもう少し生きてみようかなという気持ちになるかもしれない。と私だけでなくH子自身も期待していた。

 しかし実際には、旅先でさえほんの僅かにも心躍らないことを発見し心が完全に「ダメになってしまった。」ことを確認しただけだった。もはや現実逃避の方法さえ失われていることに、彼女は寧ろ安堵を覚えた。この世に未練がないことを確信した、と言った。

 

 六

 

 2月末に帰国してから、H子はほとんど家に帰らず神奈川県・川崎駅近くにあるビジネスホテルに滞在していた。外出する場所もそうない田舎でうつうつとしているよりは、よく知らない街でひとり過ごす方が気楽だったのかもしれない。

 川崎駅は私の家に一番近い基幹駅だったから、仕事終わりに直接会って話すのに都合が良かった。といっても、いつものようにとりとめのないことを話すくらいだったけれど。

 そして3月になり、6日金曜、夜20時。H子から、

「そろそろ、ちゃんと話し合いをしよう。」

 と言われ、彼女の滞在するホテルで待ち合わせた。

 私たちはかつて海外で何度もそうしたように、ホテルの一室で一晩中話し合った。生きるべきか死ぬべきか、そもそもどうしてこんなことになったのか。

 それだけでは足りず、翌朝になっても川崎の町を延々散歩しながら、何時間も話をした。私たちの人生について、ともに過ごした時間について。

 話題がそんなにあるはずはない。これまで何度も話してきたような同じ話を何度も繰り返していた。

「私たち、頑張ったよね、必死に生きようとしたよね。」

 と確認する彼女に、

「ほんとにね。」

 と返す。何度も何度も、何度も何度も。ただただ離れ難かった。ここで別れたら、明日が来てしまう。明日が来たら、いずれその日が来てしまうんだ。

「痩せるために、ファストフードも甘いものも我慢していたのに、一体何の為にそんなことをしていたんだろう、どうせ死ぬのに。」

 昼頃になり、商店街のカフェのショーケースを遠目にH子は呟いた。

「食べて良いんだよ、食べようよ。一口だけ食べてみて、気に入らなかったらオレが食べるから。」

「もういいの。食べて良いと思ったら、逆に食べる気なくなっちゃった。」

 H子の横顔が影になり、その表情はこの世の何にも期待していないように見えた。私が彼女との約束を果たし、その命を奪うこと以外は。

「H子、オレと出会って良かった?オレと出会わなければ起こらなかった辛いことは沢山あったよね。今日、こうして死ぬ決意を固めることもなかったかもしれない。」

「出会って良かったに決まってるじゃない。あなたと会う前からずっと、わたしは死にたいと思っていたの。でもね、あなたと一緒にいる時間は、本当に楽しかったな。一緒に色んなところ行ったよね。だから明日はもっと楽しいことがあるかもしれないって期待しちゃった。だからこんなに長く生きられた。いや……生きちゃった、かな。」

 オレもだよ。と返す代わりに言った。

「H子、オレは君と一緒には死ねない。オレが死ぬのをきっかけにして欲しくない。オレも君の死を言い訳にして死にたくない。」

 私だって今すぐ消えてしまいたい。死んだ方がいっそ楽だと何度も思った。一人で死ぬのは寂しいし不安だから、誰かが一緒なら安心できる。それでも、どうしてもご免だと思った。

「そう。でも私もう耐えられないから、一人でもやるよ。」

「それは止められないけど……。」

 私たちには一般的な治療も精神薬も効かなかった。例えいっとき薬でしのいでも、結局まのびした苦しみによって真綿で締められるように日々を送るだけなのだと、私たちは知っている。

 希望があるとすれば違法薬物くらいのものかもしれない。しかしそれも試していないだけで、怪しいものだ。精神病棟に閉じ込められ自由を失うくらいなら、それこそ死んだ方がマシだと思った。

「そうだ、ねえ。もんじゃ食べに行こうよ。」

 とH子が言い出し、私たちはその辺にある適当な鉄板屋に入った。

 もんじゃ焼きを初めてだというH子に、私は丁寧にもんじゃのタネを刻み土手を整え焼きを入れていった。

 それを見ながら、「こんな大雑把な料理ある?」などと言っていたH子だったけれど、ひと口食べて「おお、これは中々悪くないですねえ。」と笑っていた。

「美味しいんだね、もんじゃって。糖質もそんなに無さそうだし、もう一個いきたい。」

「美味しいでしょ。また一緒に食べに行こうよ。」

 ふたつ目のもんじゃは、H子が見よう見まねで焼いてくれた。

「ううん。もう多分、これでお腹一杯だよ。」

 H子はコテでもんじゃの土手をハートの形に整えた。

 寂しいからって私たちは結婚しなくて良かった。お互い友人でいたから、丁度良い距離感で、無二の理解者でいられた。それは私たちの共通理解だった。

 私たちにとって、この世は苦界だ。

 治療は試した、趣味も作ろうとした、資格の勉強もした。だけど心が楽になることも、何かを楽しいと思う気持ちも、そして転職して再び働く勇気もわかなかった。

 ただ生きて呼吸しているだけのことが、火の粉を吸わされているような耐え難い苦痛で、それがこれからもずっと続いていく絶望ばかりがどうやっても消えてくれない。私はそのことをよく心得ていた。

 それでも、私にとって彼女は間違いなくゴミ溜めの中で見つけた宝石のような存在だ。彼女を失うことが耐えられない。けれど、生きて苦しみ悶える姿も見ていられない。矛盾した思いが渦を巻いていた。

 でも、もし彼女があんなに嫌った孤独の中ひとりで死んでいくのをただ見送るようなことになったら、私は自分を許せないと思った。

「H子、オレは死なない。その代わり最後まで一緒にいる。勿論気が変わるのを祈ってるけど、絶対ひとりにしない。」

 3月17日、31歳の誕生日を迎える前に実行するのだとH子は言っていた。あと10日残っていたけれど、H子はその具体的な実行の日について、「今日やる。」とか「じゃあ明日。」だとか言っていたが、「オレの心の準備がつかないから。」といって一週間だけ待って欲しいと告げ、その日は別れた。

 彼女と別れてから、思案を巡らせた。本当に解決策はないのか。

 辛いだけの5年間ではなかったはずだ。楽しいこともあった。彼女の置かれている現状は決して世界の相対的に超大の不幸とはいえないはずだ。

 ああでも……。

 でもきっと、人は他人からみたら「そんなこと。」で死ぬんだろう。「そんなこと。」が連続したり、タイミングが悪かったり、この世の自殺の大半がきっと、本当は「そんなこと。」なんだろう。「そんなこと。」なんて存在しない。犬に吼えられたり、急な雨に降られたり、どんな些細なきっかけでも人は絶望しうるし、死ぬときに死ぬんだろう。

 いや違う、違う違う!!

 自分が死ぬのを正当化するために考えた手製の矮小な屁理屈が思考の邪魔をする。どうして私はこんなことばかり考えてしまったんだろう。彼女を苦しませずに生かす方法を思いつかない。私では、彼女を救えない。何かないか、何かないか……。

 ネットで検索したり、SNSや職場の同僚に「死ぬのを思いとどまるくらい楽しい何か。」について訊いて回った。

 けれど、結局、諦めた。

 そんなものが存在しないなんてことは私自身がよく知っているし、それに私が彼女の最期に立ち会うことを許されるのは、私が彼女の絶望を理解できる数少ない人間だからなんだろう。彼女を救わない、救えないから、私は彼女の理解者で、味方でいられたのだ。

「最後くらい家族と話したら?」

 と提案したけれど、H子は拒んだ。血縁の家族が、私たちのことを理解するのは難しい。それは家族仲が良いとか悪いとか、優しいとか優しくないとかということとは全く別の問題だ。私が自分の最期を自覚していても、きっと家族とは話さないだろう。相手が絶対に理解できない、しようとしないことを説明するのは骨が折れる。それをする体力はもう彼女には残っていなかった。

 もう、彼女が救われるには遅すぎた。

 

 七

 

 それから一週間後の13日、その日はあっという間にやってきた。約束どおり私は会社を休み、昼間から彼女と会って話すことにした。

 いつものスーツにいつものカバン、いつものクツにいつもの通勤経路、違うのは私の嵐のような心の中だけだ。

 そしてそんな日に限って、春日和の優しい風が吹いていた。若葉や桜、つつじ、菜の花の色の鮮やかさがいやに目について不愉快だった。私の隣を保育園の園児たちが乗るオレンジ色の手押し車が通り過ぎてゆく。

「あ、ちょうちょ!」

 と誰かが叫び、保育士さんが何かを言うと、園児たちはきらきら笑っていた。

 この世界には希望がこんなに溢れてるじゃないか、それに比べてお前たちの態度は何なんだ、どうしてそんな卑屈な顔をして、一体これから何をするつもりなんだ?そう突き付けられているようだ。私は苦痛を感じた。

 時間通りH子と川崎駅近くのカフェで落ち合った。

 ジャケットとミニスカート、黒いストッキング、それは今まで海外旅行に着ていた服装だった。

「今日、13日の金曜日だって。呪われてて私たちらしいよね。」

 H子は笑った。

 彼女の意思は固かったし、私も一週間で彼女の死を受け入れる覚悟を決めていた。まるで1分1秒が、ゴルゴダの丘を登るように感じていた。

 しばらくすると近くの席に子連れの家族が座り、まだ5歳くらいの少女が「しゅいまちぇん。」などと舌たらずな声で店員を呼んだ。

 H子はそれを見て、顔を顰めた。

「わたし、子どもの声を聞くと吐き気するようになってね。」

「そうか。じゃあちょっと早いけど、もう行こう。」

 そして私たちは先週と同じ、駅近くのホテルにチェックインした。

 入室するとH子は荷物の中からエコバッグを取り出し、私の前に置いた。

「これ、私の遺品。遺書も入ってる。私が死んだら開けてね。申し訳ないけど、お願いしたいことも書いてあるから。」

「わかった。」

「ちょっとシャワー浴びてくるね。」

 ホテルの部屋で一人になり、無音に耐えられず備え付けのテレビで適当なニュース番組を見ていると、間もなくH子がバスルームから出てきた。バスタオルに身を包み、化粧と頭髪は乱れていなかった。

「見て。」

 H子はバスタオルを外すと、裸体を露わにした。その青白い身体は彫刻のようで、今日まで美しい体型を維持するのに気を遣って生活していたことが伺われた。

 しかしストッキングを脱いだ脚には、大腿まで赤紫色の網状皮斑が覆っていた。それはまるで地の底から闇が這い上がりH子を飲み込もうとしているようで、その痛々しさに思わず目を背けそうになったが、しかしH子の射るような眼差しの鋭さに、身じろぎひとつできなかった。

「わたしのこと、忘れないで。」

「忘れられるわけ、ないじゃん。」

「でも死ぬところは忘れた方がいいよ、トラウマになっちゃうからね。」

 真剣な表情のままそんなこと言うところが、本当にH子らしいと思った。

「今さらトラウマなんてどうでもいいよ。ちゃんと覚えてる。約束する。」

「お願いね。」

「もう記憶に刻み込んだから、そろそろ服着てくれる?」

 私が言うとH子は、うん。といって笑った。

 私たちはそれからしばらく酒をちびちびやりながら過ごした。H子は、本当にやるんだろうか。この期に及んでも私は、H子の決意が嘘であって欲しいと思っていた。が、日付が変わった頃になり、H子が、

「そろそろ頃合いだから、一度予行練習しよう。」

 と言い出し、数錠の睡眠薬を酒で流し込むとドアノブに持参したロープを結び、首を掛けて座り込んだ。

 それを傍で見ていた私だったが、みるみる内にH子の顔から表情が消え、ものの数秒で目を見開き別人のような容貌に変わった。

 見たことのないH子、H子の顔をした恐ろしい形相の何かが、両手足をバタバタ動かして脱力し、焦点の定まらない目で私を見詰めていた。

「うわああああああ!!」

 私は恐ろしくなり、H子を抱きかかえ首に掛かったロープを解きベッドに運んだ。そしてH子の名前を何度も叫び頬を叩いた。何度か揺り動かすと、H子は目を醒ました。

「え……?わたし、どうしたの?あれっ、どうして泣いてるの?」

 気付いたH子が呑気な声を出した。

「今、今……あっちに行きかけてたよ、あっちに行ってた……。」

 全身に戦慄が走り、震えが止まらなかった。H子の死を受け入れる覚悟なんて、ものの一瞬で吹き飛んでしまっていた。

「なんで、止めたの?そんなことしなくて良かったのに。どうして、どうして……わたし、死ぬことも許されないの?もう死なせてよ、お願い……。」

 泣き始めるH子に私は懇願した。

「死なないでよH子、死なないで欲しい。君のことが大事なんだ、こんなこと止めようよ、止めて欲しい。今止めてもH子の意思の強さは疑わない。明日になったら、会社なんてほっといて一緒に何処か他の国に逃げよう。一緒に行きたいところが沢山あるんだ、死んだら終わりなんだ。一緒にいて欲しい。君のことが大事なんだ、頼む、頼むよ。何でもするから、お願いだよ。」

 私はベッドの下に跪き、H子の手を握り締めた。目から涙が溢れて止まらなかった。

「もうダメなの。わたしもあなたのことが大事だよ。私の大切な人にこんな思いをさせて、ごめんって思ってる。でももう、許して。」

「だとしても今日に拘る必要なんてないじゃないか、3月14日なんて、何でもない日じゃないか。君の誕生日まであと何日かある。せめてそれだけ生きてくれよ。」

「意味はあるの、大事な日なの。3.14は円周率、あなたの心の中で私はずっと終わらないってこと。」

「何だよそれ、ギャグじゃないか。そんなこと、普通言う?」

 私は思わず笑ってしまった。

「わたしね、後悔してることがあるの。あなたと結婚してれば良かった。本当はね、あなたのことを愛してた。でも半端な気持ちであなたと結婚して、失うのが怖かったの。」

 

 そんなこと今さら言うの、ずるいよ。なんて自分勝手なんだ……。H子もベッドから降り、私を抱きしめた。

 火傷するように熱いH子の身体を抱き、失うものの大きさを思った。この先私は、もっと沢山のものを失うことになると思う。ずっと一人きりかもしれない。孤独の道の途中で立ち止まるとき、この熱の記憶だけが太陽かもしれないと思った。

 震えは止まっていた。そして徐々に、H子の身体から力が抜けていくのを感じた。さっき飲んだ睡眠薬が効いてきたらしい。

「お願い、身体が動かないの。今なら楽に死ねると思う。もう、殺して。」

「本当に後悔しない?」

 H子は力なく頷いた。私は力の抜けてしまったH子を抱きかかえ、再びドアノブにロープを結びつけると、H子の首に掛け、その身体をゆっくり下ろしていった。

「さよなら、ありがとう。」

 H子は消え入るような声で呟き、笑った。

「H子、ありがとう、さよなら。」

 私の声はもう、H子には届いていなかった。ほんの十数秒足らずで空気が抜けてしまったようにH子が小さくなっていくのを感じ、魂が抜けてゆくのだと思った。

 私はひたすら彼女の前で頭を床に擦り付けていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。」

 

 

 永遠のように長い夜が明け、気がつくと、安からな顔をしたH子の魂の抜け殻がそこにあった。

 カーテンの隙間から、朝陽が差し込んでいた。

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