彼女は雨の日の夕暮れみたいで

 昼休みに会社を中抜けした私は、日比谷のカフェで男を待っていた。
 待ち合わせの時間にはまだ早いけれど、少しでも約束を確実なものにしたかった。
 店内は薄暗く閑散としていた。元号が令和になったというのに銀ブラよろしく昭和の歌謡曲がほんのり流れ、レトロな雰囲気を演出していた。
 そして今さらになって、「どうしてオレはこんなところにいるのだろう。」という根本的な疑問が頭をもたげてきた。
 私はこの一件に多大な労力を払ってきた。一銭の金にもならないばかりか、時間と私の有象無象を尻の穴から濁濁と無為へと流出させる日々を送っている。しかし私にはこうする他なかった。
 新型コロナウイルスの世界的な発生によって緊急事態宣言が政府から発令され、外出自粛要請が出されていた。
 この辺りの会社は大企業ばかりだから、テレワークを導入できているところも多いのだろう。街はさすがに閑散としていて、昼どきにも関わらず、平時は多数いる路上で弁当を販売するような者もいなかった。
 ふと数年前の冬、早朝の大手町の街角で薄幸の母親が、出勤を急ぐ私の手に弁当屋のチラシを手渡したことを思い出した。両脇にはその子どもと思しきどちらも6歳くらいの姉と弟が母親の手伝いをして立っていた。その健気な有り様がよぎり、あの母子は今ごろどうしているのだろうと生々しく想起された。それは私には関係のない事柄であったけれど、その姿からある種の呪いにも似た悲しみに触れてしまったから、忘れ去ることができなくなってしまった。
 所詮当事者ではない私にとって、あるかどうかも判らない悲しみは想像のものにすぎない。まるきりの他人でさえそうであるならば、親しい者の悲しみにひとたび触れようものなら呪いそのものと化してしまうのも必定だったということだ。
 どうにも落ち着かずネクタイを何度も締め直した。
 私は相手の男に、ただ事実を淡々と最後まで聞いて欲しいだけだ。しかし彼に私の話を聞く義務も義理もありはしない。この会合は全面的に相手の厚意に依っている不確かなものなのだった。彼にとって不都合な話をすることになるだろう。けれど相手に逃げられるような事態は避けなければならない。どうか何ごとも不穏が起こらないことを祈った。
 間もなく男が現れ、私は立って腰を折り名刺を渡し自己紹介をした。
「初めまして。この度とんだことでご足労いただいてありがとうございます。」
 男の方は男の方で、或いは正気を喪い怒り狂った男が待ち構えているとでも思っていたのかもしれない。敵意のないよう作った私の顔を見て、少しホッとした表情を見せるのだった。そして彼が私を値踏みしているように、私も彼を値踏みしていた。色白く細身で、かといって貧弱そうにも見えない。美容室で整えられた黒髪に悧巧な顔を見、良い男だなと思った。
 男も腰を折り名刺を差し出したのを私は受け取った。男の名前は加藤といった。年はひとつ上の31歳で職場は丸ノ内、私が以前働いていたところとは異なる政府系金融機関に勤務していた。
「とんでもない。私もビックリしているんです。警察から連絡があったんですが、それきりで。ずっと頭から離れなかったので連絡をいただいて助かりました。」
 私は、どうぞ。と男に差し向け、私たちはカフェのソファに腰を下ろした。ソファの生地が軋み、ブブブブブ、と間抜けな音を立てた。
「それでは早速ですが、ことの経緯についてお話させて下さい。」
 今私の目の前にいる加藤は5年前、H子と交際していた。その期間は15歳から25歳までの10年ともなり、婚約までしていた。しかし25歳の時分に加藤は浮気をし、そのとき相手の女に子どもができた。加藤は責任をとるつもりでいたが、それをH子に隠したまま、数か月H子を弄んでいた。間もなく浮気が露見し二人は別れ、加藤はその浮気相手と結婚した。
 中学生の頃から付き合いお互い仕事も安定し、年齢もアラサーに差し掛かり後は結婚してありふれた家庭を築いていく。好きな男と結ばれ子どもを作り、富裕とはいえないまでも安定した生活を目前にして、身に余る幸福を受け容れるその準備をしていたさ中だった。それでも加藤が、H子との関係をきちんと清算していれば或いはマシだったのかもしれない。
 私はH子の人生について、その不幸はこの世界の相対的には超大の不幸とまではいえないはずだと思っていたが、しかし順調に愛を育み明るい未来を思い描いていたはずの男が、別れると決心した後も自分のことを身体目当てに飼い殺しにしていたという残酷な現実は、H子が他人への信頼を失い、自分自身の人生に「ガッカリ。」するには十分な落差だった。
 H子はこの世界に失望しうつを患い、仕事も休職した。そうして苦悩の日々を送っていたが、加藤を忘れるために婚活を始めた。そこに現れたのが私だった。
 今思えば当初私と何度かデートをしたのも、政府系金融機関に勤めているという一事を以てH子は私の向こうに加藤の影を見ていたのだった。
「以上が、H子の亡くなった経緯です。」
 加藤は目を閉じ、眉間に深く皺を寄せたまま天井を仰いだ。大きく息を吸い、何かを言おうとするのを飲み込み、代わりに大きなため息をついた。「そうか。うん。そうか……。」と言葉にならない声を出していた。
 加藤は、私がH子の親友でありその死を看取った人間であることを警察から聞かされていて、それが分かった上でここに来た。私の人間性を知る由もない加藤にとって、私の目の前に姿を現すということはある程度リスクのある行為だ。そこには自分がしたことへの自責や、亡くなったH子に何かしてやりたい気持ちがあって、覚悟のようなものを抱いてここへ来たということなのだろうか。
 H子は今わの際、遺書と遺品を私に託した。遺族宛、私宛、そして加藤宛にそれぞれ遺品と遺書がある。しかしその全ては一旦警察の手によって押収され、今は遺族の下にある。
 遺書については全てスマホのカメラで写し画像データを持っていた。けれど遺品については回収することができなかった。私はH子の旦那さんに対して、遺書の現物と遺品を私に託して欲しい旨の手紙を書いた。けれどなしのつぶてだった。それも無理からぬことではある。
 H子の遺書には、私が加藤に遺書と遺品を直接手渡して欲しいということが書かれていた。遺品の中にはH子の写真もあった。だから私は遺品の代わりに私が持てるここ数年の彼女の写真を見せることにした。
 私はH子との来歴を話しながら、ノートパソコンを開きH子の写ったこの数年の写真を加藤に見せた。
 改めて見て、H子の変貌に愕然とした。会って間もない頃の彼女は確かに美しかった。それが徐々に心身を闇に侵されていくのが目に見えて判る。肌が荒れ頭髪が薄くなり、笑顔で写っているはずの写真が般若の面容を呈してゆくようになる有り様は、思わず目を背けたくなるほどに痛々しい。
「これが遺書の画像です。読み辛いかもしれませんが。」
 加藤宛の遺書には、彼に対する好きだった気持ちと、失意の日々について語られていた。画面に齧りついて読んでいる加藤の首筋が赤くなり、歯を食いしばり拳を握り締めているのがわかった。涙を堪えていた。
 読み終わり、加藤が口を開いた。
「彼女が私に連絡をとろうとしているのはわかっていたんです。でも私は応じなかった。私も彼女を好きでしたが、私には家庭があるんです。私に一体何か、何かできたんでしょうか……。」
「加藤さん、確かに……加藤さんは浮気をしたし、H子を裏切ったかもしれません。でも私は別にそれを責めようという気持ちは全くないんです。私も男なので気持ちは解ります。このくらいのことはよくあることですし、前を向いて生きてる人の方がほとんどです。それでもこういう結末になってしまったのは、H子自身の問題です。彼女もそのことは解っていたと思います。ただH子が、私がこうして加藤さんと直接お会いするのを望んでいたのは、どれくらい彼女が加藤さんのことを想っていたのかちゃんと伝えて欲しいということだったのだと思います。」
 私が激昂するような人間ではないことを、H子はよく知っていた。だから私が加藤を責めあげ傷つけるようなことは、H子の望むところではなかったはずだ。私はただ事実と気持ちをありのままに伝えるに徹した。
 人間不信だったH子は、最期まで私を信じてくれた。私が彼女にとってそういう存在でいられた。そして可能な限り気持ちに報いることができた。そのことに私は安堵した。
 加藤は自分の顔を手のひらで覆い、おしぼりを自分の目に押し当てていた。
「こんなことになっていたなんて、どうしてこんなことに……。」
 中3から付き合い始めて10年、若い男女にとっては途方もなく長い時間だ。気持ちを維持し続けるのは並大抵のことではない。他の人を好きになったり裏切られたり、それでも皆どこかで気持ちに折り合いをつけて次に進んで生きて行くしかない。けれど次へ進めない人間もいる。
「私にとって、この世は地獄でした。」と遺書には書いてある。
 人は死ぬまで終わることは無い。終わったと思ったところからまた何かが始まり、始まったからには必ず終わりのときが来る。
 そして何かに絶望をする度に加藤とのあり得たはずの明るい未来に直面し煉獄のように苦痛を味わい続けたH子は、次に進めないことを思い知ってしまった。
「遺品は回収できなかったので今はお渡しすることはできませんが、H子の気持ちは確かにお伝えしました。私がH子にしてやれることは今のところここまでです。もし遺品が私の手に亘ったら、加藤さんどうしたいですか?ご家庭もあるし、遺品なんて受け取っても困るという話も判ります。もしそうであれば……、」
 と話す私の言葉に、加藤は被せた。
「いえ、受け取ります。それが彼女の最期の願いなら、意思を尊重してやりたいですから……。」
「わかりました。遺品がもし手に入ったら連絡します。加藤さんも何かあったらいつでも連絡してください。」
 加藤は多分、基本的には誠実な男だったんだろう。だけど身の周りに在る誘惑に抗うほどには強くなかった、ただそれだけのことだ。 
「私がこんなことを言うのはおかしいですが、H子はもうこの世にはいません。彼女の冥福を祈り、できればたまに思い出してあげて下さい。それで十分かと思います。ご家族を大事になさって下さい。」
 項垂れる加藤を残し私はカフェを後にした。道すがら、店内で流れていた水前寺清子の歌謡曲を思い出していた。
 ♪ 幸せは歩いて来ないだから歩いてゆくんだね一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる~
 なんて寒々しい歌詞なんだろうと思った。単に生きて歩いていればいずれまほろばへと辿り着くとでも言うのか。そんなはずはない。一たび煉獄へ踏み出せば、もうその先には行けども行けども苦痛しかない。
 49日が明けようとしていた。仏教的には、この間死者の魂は現世とあの世に留まり、遺された者が死者へ手向ける祈りの多寡で来世の処遇が決定されるらしい。そんなこと、信じたくもないけれど。
 H子はオレのことを見てくれていただろうか。完璧な状態ではなかったけれど、頼みを果たしたのを見てH子は安心してくれたのだろうか。
 職場に戻ると、どうしようもないくらいいつもと変わらない時間が過ぎていった。その耐え難い苦痛に叫び出したい気持ちになった。けれど狂人になり切れず、叫び出すことなくその日の時間を打っ棄った。明日も明後日も、きっとこれからもH子がいた日々を忘れることはないままに、そして幸せなんて信じることのできないまま、私もまた煉獄を独り歩いて行くほかない。