亡霊を追う

 3月14日の朝、H子は宣言どおりその命を裁った。
https://datchang.hatenablog.com/entry/2020/03/15/191526

 いいや、間違いなく私自身がこの手に掛けたのだ。
 あれから3か月、漫然と日を経た。彼女から託された遺言のうち、果たせたものもあれば果たせないものもあった。しかしおおよそ彼女の望み通り「こと。」は運んだはずだ。
 しかし私は悪夢にうなされていた。
 気が付くと、私は闇の中にいる。闇の中には私と、あの日のホテルのドアがあり、H子が磔にされている。彼女に寄ろうとすると、彼女の身体に火が放たれ、彼女が私に助けを求め泣き叫ぶ。だが彼女と私の間には見えない壁があって、走れども走れども辿り着くことはできない。そしてH子は私に叫ぶ。
「あなたは未だ私を殺していないッ!」

 あの日、私は彼女の死亡を確認した。脈と呼吸、瞳孔を調べた。しかし所詮プロでない私に、何か思いも寄らぬ遺漏が無かったと断言することはできなかった。
 彼女の肉体は救急車によって運ばれていったが、その後、二度とこの目に見ることはなかった。その先を私は知らない。葬式に招かれることは当然なく、遺骨を見たわけでもなかった。
 思い返せば警察も「H子は死んだ。」とは、一言もクチにしてはいなかった。彼女の死に確信を抱けずにいた。それは或いは「そう思いたかった。」ということなのかもしれなかった。
 私たちは毎日のようにLINEをやりとりしていた。私の日々の中には、どんなに忙しくとも彼女の為に割く時間があった。
 それが丸々なくなったことで、胸に虚が空いていた。それはただ彼女のことを考える時間となっている。他のモノに埋めることはできなかった。
 その時間の、一分一秒が悩ましかった。
 H子があの状態から万一蘇生するようなことがあるのなら、きっと尋常ではない後遺症を負っていることだろう。そして精神病棟に幽閉され、僅かに残った理性で私を呪っているに違いないと思った。
 そう思ってはいてもたってもいられなかった。警察に捕まることなどリスクのうちには入らない。もし彼女が生きているのなら、今度こそ息の根をこの手で止めてやらねばならない、その責任が私にはある。
 彼女の死に確信を抱く為、せめて遺灰を確認したい。仏壇でも、遺族の言質でもなんでも良い。

 しかし当然、それは生き残った遺族にとって身勝手甚だしい願いだった。
 2か月前、私はH子の旦那に手紙を書いた。
 私宛の遺品と遺書を託して欲しいということ、ことの一切を話す積りがあるということを。
 当然すぐに返事が来るだなんて思っていたはずもない。しかし私は一縷の望みに賭けて返事を待った。ところが終ぞ返事が来ることはなかった。
 それは無理からぬことではあったが、しかし私は焦れた。いつかはH子の旦那と話をしなければならなかったが、H子から彼が6月末を以て現住所から他の土地へ転勤となることを聞かされていた。そうなってはもう私の側からその後の動向を把握することはできない。また、彼の気が変わりいつか返事を書いたとしても、今回知らせた住所に私がいつまでも住んでいる保証など何処にもなかった。
 
 今月が、直接旦那さんと会うことのできる最後のチャンスだった。
 いずれにしても、いつか私はH子の暮らした土地を見に行くことになるだろう。ならばその好機は今を於いて他にないと思った。
 相談した友人たちからは揃って「どこまでも旦那さんの尊厳を傷つけるようなマネをするのは止めろ。」「(旦那に私が)刺されてもおかしくないぞ。」という忠告を享けた。けれどH子を救えなかった者に対して頓着するような気持ちを持ち合わせてはいなかった。それは旦那さんにも、私自身に対しても。

 そして私は、彼女が暮らしていた茨城県神栖市へでかけることにした。

 

 東京駅のターミナルで、神栖市ゆきの高速バスが来るのを待った。
 たまにH子が東京に遊びに来る際、私は何度もここで彼女を見送った。
 東北の片田舎を嫌って上京したH子にとって、再び田舎暮らしに封印されることそのものが苦痛だった。大した用も無いのに東京へ来て時間を過ごし、その度に私に声を掛けてくれた。
 そしてこのバス停で私に見送られ別れるとき、いったい彼女はどんな気持ちを抱いてバスに乗り込んでいったのか。
 そのことを考えると眩暈がした。
「もう少し、一緒にいようか。」と、そんな言えたはずもない一言を或いは言えたのではないかと考えては、その不毛さに苛立ちを覚えた。
 やがてバスが来て、いつか別れた日の彼女の影が、私の前に現れた。私に手を振り、踵を返してバスに乗り込んでいった。その影を追ってバスに乗り込むと、乗車口で彼女の影と私の身体が重なり、彼女の姿を見失った。そこから先のH子の姿を私は知らない。

「鹿島セントラルホテルゆきです。」
 運転手が言って、私は頷いた。

 千葉から利根川を越え茨城に差し掛かる頃になると、車窓の景色は見渡す限りの田園風景となっていた。のどかだな、と思うことはできなかった。
 こんな場所では車が無ければ何処へゆくこともままならない。乗用車もましてや免許も持たないH子にとって、この地平線そのものが牢獄だった。
 そうしてバスは神栖市の市街地に到着した。所要90分程度だった。こんなに近いのなら、生きているときに自分から会いに行ってあげたら良かったとは謂い条、しかしこんな不毛の土地へ来るのに往復4千円の交通費は、尋常なら大金である。だからきっと考えるだけ栓の無いことだった。栓の無い事柄から、逐一逃れることができなかった。

 この日、町には雨が降っていた。
「だっちゃん、私ね、雨が好き。」と彼女は言っていた。私もその意見に賛成だった。私たちは日陰者で、寂しがり屋で、孤独でいるのに理由が必要だった。雨音は私たちに寄り添っていた。

 鹿島セントラルホテルの一階でレンタカーを借り、カーナビで花屋を探した。約束もなく手ぶらで旦那さんの元へゆくには居心地が悪かった。
 花屋は何件かあったけれど、そのうち一軒の店名が彼女と同じ名であることを見付けた。それも何かの縁と思い、車を走らせた。

 花屋に着くと、店内は無人で、電気さえ点いていなかった。
 花用の、ガラス張りの冷蔵庫の唸る音だけがしていて、曇ったガラスの中に数輪の花が見えた。
 客はほとんど来ない様子だった。無造作に置かれたテーブルの上にはタバコと吸い殻が押し付けられていた。タバコのフィルターにはピンク色の紅が着いていて、店員は女なのだろうと思った。
 入り口の隣には立て看板が置かれていて、「御用の方はこちら。近所におります。090-……」と連絡先が記されていた。一寸迷ったが電話を掛けると、
「はいはい、どなた。」
 と老婆の声が応じた。
「お店、やってますか?今、店にいるのですが。」
「はいはい、今行きますよ。待っててくださいね。」

 数分待つと、80歳くらいのお婆さんが軽トラックに乗ってやってきた。
「お待たせしたわねえ、キャバクラのお花?」
 藪から棒に問いかけられた。田舎だが、近所にはキャバクラが数軒あった。きっと、キャバクラ嬢宛てに男たちが花を買いに来ることもあるのだろう。
「いいえ、普通の花を包んで欲しいんです。墓参りの。そういうのはやってませんか。」
「できるわよ、座ってて頂戴。花束は2つでいいわよね。あなた、この辺の子じゃないわね。東京?お墓はご実家の?」
「いえ、友人のです。」
「あら、じゃあ若いのね。ご病気?」
「若かったです。……自分で、です。」
「そうなの。おばさんもね、元々は東京なのよ。昔足立区でね、辛いことがあって。それでずっと死のうと思ってたのよ。こっちに嫁いでからはそんなことも思わなかったんだけどね、数年前、夫が死んでからは、若い頃の死にたい気持ちをよく思い出すのよ。高い所に立ったらね、足が竦んでしまったの。逝ける人は偉いわ、自分に嘘をつかない人よ。私は死にきれなかったわよ。」
「それでいいのですよ。」
「まだわからないわよ。死んでおけば良かったと思うこともある。生きてることが死んでることより良いかなんて、最後の日になるまで判らない。簡単に言えないわ。」
「おばさんの言ってること、わかりますよ。」
「そう、わかってくれるのね。そういう人は珍しいわよ。」
 おばさんは手際よく花を束ね、茎をハサミで切り形を整えながら、身の上話を聞かせてくれた。私もおばさんの問いかけるままにH子とのことを答えた。
 おばさんは作っていた花束を一旦置いて、冷蔵庫から白い胡蝶蘭を取り出した。それは一輪一万円もする高級花である。死者へ手向けるにはこれ以上ない花束となってしまった。
「この胡蝶蘭はね、おばさんの気持ちよ。花も喜ぶわ。ただ飾られることの多い花だから、深い気持ちの載った花束に成れる胡蝶蘭は多くないわ。どうしてこんな路地裏のお店に来たの?」
「気に障るかもしれませんが、彼女の名前とお店の名前が似ていたんです。」
「じゃあ、何かに導かれたのね。きっと見守ってくれてるわよ。おばさん、あなたに会えてよかったわ。」
「私もです。おばさん、ありがとう。」

 花束を助手席に乗せ車を発進するまで、おばさんは見送ってくれた。
 これから、H子の旦那に会いに行く。
 自分の妻を殺した男と会った彼が、何を口にして、何をするのか。いかなる事態も覚悟していた。
 しかしどんなに口では「私なんて、どうなっても構わない。」と主張したところで、罵倒されれば屈辱を感じ、殴られれば痛みを感じ、目的に執着する私は、悟り切ることの出来ない男だった。
 不安で堅くなる心に、花屋のおばさんの優しさが染み入った。
 十数分も車を走らせると、H子の住んでいた家の近所に到着し、適当な場所に車を停めた。外は土砂降りになっていた。
 H子が私に宛てた手紙に書かれた住所を再度確認し、傘を開いて外へ出た。花を片束抱えると生花の鮮やかな匂いがして、寄り添ってくれた。

 

 手紙に書かれた彼女の住所には、アパート名が書かれていなかった。
 周辺には幾つかアパートが建っていた。カーナビもGooglemapも表示する場所が微妙に異なり、どのアパートか断定できずにいた。
 途方に暮れたが、ここまで来て何も得るものなく帰ることになっては笑えない。手掛りを得る為、一棟一棟、一部屋一部屋、虱潰しに見て回るしかなかった。今日び部屋に表札を掲げているような家も無い。せめて配達員でも通りかかってくれたら……と思ったけれど、周囲に人影はなかった。

 そうして何部屋か見て廻っていると、明らかに異様の部屋を見付けた。
 その部屋には藁人形が数体、玄関にぶら下げられていた。扉には、「厄除け」と書かれたお札が貼り付けられ、インターホンの下には、「セールス勧誘のノック禁止、インターホン使用料1,000円也」と貼紙がしてあった。
 それは、他人から見れば怪異だった。
 しかしH子はかつて私に、「田舎の人たちのお節介が鬱陶しい。誰にも関わって欲しくないから、玄関に藁人形をぶら下げたら誰も関わって来なくなって平穏を取り戻した。」などと言っていたのだった。
 私はその言葉を冗談半分に聞いていたが、現実を目の当たりにして愕然とした。
 H子はこんなに追い込まれていたんだ。こんなにも、この世界に馴染めなかったんだ。その現実を突き付けられた。

 H子は死ぬ直前、「頭のおかしい女。」になることを恐れていた。駅のホームで、繁華街で、恥も外聞もなく周囲に呪詛を撒き散らし、誰にも相手にされなくなった「成れの果て。」にわたしはなってしまうだろう、それだけは絶対にイヤだ。としきりに言っていた。しかし、これではもう……。
 やはり彼女を救うことはできなかった。もう、後戻りのできない場所にいた。
 H子が死に、「一緒に死んで欲しい。」と言われた私が生き残ってしまったその理由は、巡り合わせの結果ではない。彼女と同じ奈落にゆきかけたときに、「何者か。」が、私に取り付けた糸を引き、狂気の果てに行けなかった。私は彼女ほど、「死に憧れる。」ことが出来なかった。少なくとも、今は未だ。

 貼紙の文字と手紙の文字を見比べ、H子の字に間違いないことを確認した。怨念の籠った文字を書き乍ら1,000円のカンマを忘れずに書くような几帳面さも含め、これは間違いなくH子の仕業なのだった。


 意を決しインターホンを押したが、返事はなかった。
 旦那さんは出勤している様子だった。彼は近くの工場のエンジニアで、週6勤務、土日もなく毎日夜遅くまで働いていた。H子はそんな旦那の健康を気遣っていた。もっとも、最終的に彼を一番追い詰めたのは彼女自身に相違なかったが。

 彼が帰宅するのを待たねばならない。夜になれば、窓には電気が灯るだろう。居留守もできないはずだと思った。
 花束を玄関に置き、来訪を知らせた。そして夜更けを待つ間、鹿島港へと車を走らせた。

 埠頭の端に座り込み、波打ち際に花束を置いて手を合わせた。
 あの部屋の様子はまともではなかったが、しかしあの異様な装飾が無ければ、私がH子のアパートに辿り着くのは難しかった。
 H子の遺した物が私を導くことが、何か誘われているように感じた。そして取りも直さず、3ヶ月もの間あれほどまでに世間体を憚らないモノを、旦那さんは片付けずに放置しているということだった。それは妻を失った男の深い悲しみを表していた。
 やはり旦那さんに会って、全てを話さなければいけないと思った。

 ふと、きのこ帝国の「海と花束」の歌詞を思い出した。
https://www.youtube.com/watch?v=ZdgQ82boywc
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伝えたいことなど とっくのとうに無い
錯覚起こしてる ただそれだけなんだよ
ごめんね、これでもう忘れよう
花束抱えて 海へと向かった
最初で最後の他愛ない約束をしよう
きっともう会えないから
僕たちはいつも叶わないものから順番に愛してしまう
ごめんね、これでもう最後さ
__

 10年近く前、よく聴いた歌だった。まるで歌詞そのままの行動を採る自分が滑稽で笑えてきた。
 そうだ。誘われているも、話さなければいけないも、何もかもそんなのは後付けの錯覚に過ぎない。H子でも旦那さんのためでも何でもない。

 私が、私自身の亡霊に決着を着けるためにここへ来たのだ。

 

 夜も更け22時頃、再びH子の家に赴いた。相変わらず雨が降っていた。
 窓の明かりが煌々とつき、置いた花束はなくなっていた。旦那さんは帰宅しているようだ。
 玄関先に近づくと防犯用のセンサーライトがピカ!と光り、私を照らした。またしてもH子の仕業だった。周囲にはライト以外の光源が無く、眩しさに目を焼かれた。スポットライトを当てられ、次のシーンを演じることを求められているようだ。もう後戻りできないと思った。
 インターホンを押すと、若い男の声が応じた。
「夜分遅く失礼します。奥様の件でお伺いしました。失礼とは思いますが、少しお話しませんか?」
 一寸、間が空き、インターホンの向こうで男が息を呑むのを感じた。ドアが開けられ、H子の旦那は、「どうぞ、お入りください。」と応じた。
 部屋に入ると隅には小ぶりの机があり、その上にH子の遺影と骨壺が置いてあった。それで私は、確かにH子は死んだのだと思った。
 リビングには埃がつもり、食べかけのカップラーメンとゴミ袋が放置され、生活の荒廃を顕していた。それでもH子の遺影の周りだけは清潔に保たれていることを私は見逃さなかった。喉に異物が詰まるような気持ちになり、
「この度は、ご愁傷様でございました。」
 などという通り一遍の無意味なクリシェを絞り出すのが精一杯だった。しばし無言の時間が流れた。

 旦那さんは、H子の藁人形を片付けなかった。
 リビングには開きっぱなしのキャリーケースが放置され、中に「鳳凰酥」と書かれた黄色い箱が見えた。H子の死ぬ直前、二人は台湾旅行に出かけていた。
 この部屋の時間は、H子が死んだその日から止まってしまっていた。ここは廃墟なのだと思った。温度の無い悲しみが、塊のようにそこにあった。
 旦那さんの顔は蒼白で、白目は黄色く、まぶたの下には深い隈ができていた。
 以前H子に見せてもらった彼の健康的な写真とは似ても似つかない。小太りといっても良い体形だったはずだけれど、今目の前にいるこの男は、同じ顔をした別人のように骨と皮となっていた。数か月で人をこうまで変貌させる失意の深さを思った。
「こんな夜分に押しかけて申し訳ありません。手紙を書いたのですが、お返事を書くのはきっと負担が大きかろうと思って参りました。月末で転勤なさると聞いていたので、これがお会いできる最期かと思い……。」
「いいえ大丈夫です。私も返事を書きかねていたんです。お越しになった理由も何となくわかります。まあもう、仕事も月末で辞めるんですけどね。どうしても働く気にはなれなくて……。」

 彼の人生は否応なく変わってしまった。
 心身の健康を失い、仕事さえ失うことになってしまった。そして最愛の妻が自分以外の男を愛していたこと、苦悩を託したのも自分以外の男であったこと、その全てが彼を八つ裂きにしたに相違なかった。

 私は、H子との出会いから、抱えていた苦悩と、最後の日に至った経緯について話した。

「妻は、本当に自分勝手ですよね。なんて自分勝手なんだ、本当に……。」

 30歳近い男が、初対面の素性も不明の男の前で言葉を詰まらせ、涙を流していた。その痛ましさは見るに堪えなかったが、しかし私もまたH子と同じく身勝手で、心を喪った人間である。「死ねば現在の苦悩から解放される。」ことを知っているから、苦悩する目の前の人間に抱くべき感情を探しあぐねていた。死を引き当てにすれば万事が些細なことだった。しかし本当は、些細なことなど何一つなかった。

「こうして全てをお話し致しましたので、どんな目にも遭う覚悟でいます。お望みであれば。」
 というと、
「私は、貴方のことを責めるつもりはありません。今さら何を言ったところで妻は戻りませんから、遺された私たちは、前を向いて生きていかないと……。」

 そう自分に言い聞かせるように口にするのだった。
 それを聞いて私は、まともな人だな、と思った。しかしだからこそH子は彼に心を許し苦悩を打ち明けることができなかったのだろう。

「お願いがあります。手紙に書いたように、彼女の遺言と遺品を私に託して頂きたいんです。」
 私に宛てた遺書で、H子は、私にその他の遺書と遺品の扱いを託していた。そして昔の想い人・加藤と会い、遺品を直接手渡して欲しい旨。
「遺書と遺品は、今はお義母さんの元にあるんです。ああいうものは私よりも血縁の方が持っていたほうが良いと思いますので。」
「左様ですか。ではお母さんが加藤さんに遺品をもう手渡して頂いた、という認識でよろしいのでしょうか。」
「いえ、お義母さんには渡してあるんですが、『加藤さんとは連絡がつかない。』ということでした。」
 「嘘だ。」と思った。私は加藤と連絡をとることができる。
 H子の母親は、少なくとも今は未だ、娘を死に追いやる原因となった男に遺品を引き渡すつもりがないということを意味していた。
「そうですか。遺骨は、どうされるんですか。」
「遺骨も……、海に撒いて欲しいと遺書には書かれてましたが、私の実家の墓に納骨する予定です。彼女も私の祖父母や親戚ばかりで肩身が狭かろうと思いますが、それは、そういうものだと思っているので。」
 もはや死んでしまった人間の存在が、生きている人間の人生の邪魔をするべきではない。しかし死者の切実な願いは、こんなにも蔑ろにされるものなんだろうか。

 生きても死んでもままならないH子のことを想った。
 そうか、あの海に彼女はいなかったんだ。

 帰り際、H子の遺影に手を合わせた。遺影の横には私の置いた花束が添えられていた。
 昼間海に流した双子の花束を辿って、彼女の魂だけでも海へと還ってくれたらいいと思った。
 そんな都合のいい願いが叶うかどうかはわからないけれど、供養なんていうのは土台そのようなものだろう。手製の屁理屈でだって、生きている人間が少しでも納得できるように整理するしかない。

 例え、ウソを吐いても。
「H子は死に際、旦那さんのことを慮っていましたよ。旦那さんのことを『愛していた』と言っていました。どうかご自分を責めないで下さい。」

 家を後にしたとき、雨はもう止んでいた。数百m先に停めた車まで全力で走った。肺が破裂しそうだったが、「何か。」から逃げ出したかった。
 深夜、街灯のない畦道が延々と続いていた。

 

 ホテルのベッドで横になり、まんじりともせず過ごしていた。
朝の4時頃になって、今日はもう眠れないのだと諦め、服を着てその辺を散歩することにした。
 近くのコンビニで缶コーヒーを買い、田舎よろしく無駄にだだっ広い公園のベンチに腰掛け、モヤのかかったような頭でぼうっとしていたが、地平線の彼方から陽が昇り、その光が目に刺さって痛かった。しかし太陽から目を逸らすことができなかった。この痛みは罰なのだと思った。

 数年前の金曜日、新宿で飲んでいた私とH子は終電を逃し、カラオケで仮眠をとることにした。
 したたかに酔い、カラオケに着いて早々、大股を開いてソファに横になるH子にスーツのジャケットをかけてやった。H子は私のジャケットを掴んで自分の顔を覆うと、すぐに寝息を立て始めた。

 ある日、「だっちゃんと一緒に働きたい。」と私の職場の選考を受けていたH子は、書類選考、筆記、一次面接を突破して、残すところ役員面接だけとなっていた。
 お祝いと、慰労と、あとはただ話したかったから、その日のお酒も悪くなかった。

 私もソファに座ったまま眠りに落ちた。
気付くと3時間パック終了の電話が掛かって来て、私たちはカラオケを追い出された。そしてまだ薄暗く肌寒い新宿の街をゆくあてもなく彷徨い、高台の住宅街にある公園に辿り着いた。

 夜明け前、貸し切りのベンチに座り、私たちは缶コーヒー片手にまどろみながら世界の始まりを待った。
 やがてゆっくりと陽が昇り、街をあたたかく照らしてゆく。高層ビルの先端に反射した朝日が歯ブラシみたいに街を磨き、空の色が藍から青に変わっていった。
 私たちだけが知っていた。今日から違う世界になったのだということ。報われない世が終わり、やっと私たちが報われる時代になったのだと思った。
 私たちのコンビネーションに異論を挟む余地はない。きっと職場でも良いパートナーに成れるだろう。

 H子を見ると何も言わないまま、ただ遠くを見つめていた。「何を考えてるの?」とは訊けなかった。私が知る由もない、もう一人の自分と戦っているようなH子の浮かない顔を見ていると、胸が少しだけ痛んだ。
 私の視線に気付いたH子がこちらを向いて、

「どうしたの?」
 と訊いた。
「いや、何でもない。」

 やがて遠くで微かに電車の走る音が聞こえ、人影が散見されるようになった。

「始発、出てるみたいね。」
「オレの始発はもうまだ先だから、もう少しここで休んでるよ。」
「わかった。じゃあ、もう行くね。」

 H子の背中を見送りながら、こんな朝を迎えることができるんだったら、これから生きていくのもまんざら悪いことではないように思った。

 死の際、H子は私に、「愛してた。」「結婚したかった。」と言った。そのことが、鍋の焦げ付きのようにしつこくこびり付いて離れない。
 嘘をつけ。H子が男として愛してたのは私でも旦那でもなく、自分を裏切った男だ。
 私は、自分が彼女を救えないことを心得ていた。彼女に何もしてやれないけれど、それでも傍にいたいと思っていることをH子はよく解っていた。
 私に対するものは、そういう長年愛玩して来た忠犬に対するそれに近い。
 しかしそれでも私は嬉しかった。「死を任せる。」という他の誰にも担えない役割を貰ったことが。
「生を任せる。」こと、即ち共に生きるてゆくことよりずっと容易だが、しかし人生を棄てる覚悟をした私でなければ担うことのできない役割だった。
 喉から手が出るほど欲していた、「私の意味。」そのものだ。私のこれまでの人生にはそんなものしか無かったが、しかしそれでも確かに私が得た意味なのだった。

 そうして私はH子を見送り、知らない町の公園のベンチで今も未だ、ひとりで夜明けを眺めていた。
 私は「私の意味。」を得たが、相変わらずただ生きて呼吸することそのものが苦痛であることに変わりなかった。
 あのときも結局H子は役員面接に落ちて、私の職場で働くことはなかった。世界は相変わらず彼女の報われない形のまま回り続けていた。

 雨上がりの朝焼けの美しさは胸を打つけれど、それは私たちの苦痛とは関係ない。何度朝を迎えても、私もまた死ぬまで救われることはないのだろう。そんなことは判り切っている。
 それでも、H子が「あなたの書く文章が好き。」と言ってくれたから、こうして私たちの過ごした時間について書きのこしておこうと思った。
 彼女の亡霊を追いながら、私は未だ「生きて救いを求める。」ことから、逃げられずにいる。