紙の鰓

 読書家を名乗るほどには、本を読むことはなくなった。それでも通算では年間まあまあの冊数を読んでいる気がする。
 ただ、前のエントリでも書いたように頭が良くないから、その殆どを忘れてしまった。そもそも書いてある日本語が理解できない本も沢山あった。
 だから得たものはそんなに多くない。

 この世界には、おれの感情を当意即妙に言い得る表現の天才がいて、自分で改めて表現しなければならないことなんてもはや特にないな、ということが判っただけだ。

 一時期は人生の虚しさを埋めるように、心の断崖へ何冊も何冊も投げ込むように本を読み漁ったけれど、底を打つ音が聞こえたことは一度としてない。

 それでも、このページの先に真理があるのではないか、或いは、自分の中の何かが、誰かの思考を通じて変わるのではないか。そんなことを期待して、今日も本を読んでいる。
 勿論本の中に真理なんて存在しないし、文章なんか読んだところで何かが変わることなんてことはあり得ない。
 そんなことはまあ、薄々判っているけど、僅かな可能性にかけて次のページを開くまで生きよう。その間断ない連続性で、何とか呼吸をしている。

頭が悪くて

 とにかく頭が悪い。多分これは障害なのだと思う。
 人の名前に始まり、仕事の手順、必要な知識。何もかも覚えられない。
 正直、結構工夫して努力をしてきた方だとは思うのだけど、ついぞデキる男にはなれなかった。

 考えてみれば、九の段、カタカナだ。
 どちらも本来、小学生2年生で誰もが習い、特段の努力を要することなく身に着けることができる(と、そのように聞き及んでいる)。
 おれは頭が悪くて、小学校5年生になってやっと何とか使えるようになったのだった。
 そこから部活を辞めたり遊ぶことを放棄したり、それこそ一日数時間だとかそういう努力の果てに悪くない高校へ進学したわけだけど、入学にそこまで努力した人間は高校にはほぼいなくて、あっという間に高校でドンケツになった。
 他人が当然のようにできることを努力しなければできないということは、努力が当然とされる場所では手も足も出ないのだということ、そして自分がそうなんだということについて、もう少し真剣に考えておけばよかった。

 そんなわけで大学受験もうまくゆかず、司法試験の勉強もうまくゆかず、まあもうこれだけ何もかもうまくいっていないのであれば良い加減自分がアホなのだと気付いてもよさそうなのであるけれど、そこもアホゆえに中々気付けず、高能力を要する職業にしれっと就いてしまったのである。

 高能力を要すると書いたけど、多分実際にはさほどでもないと思う。おれにとっては、という話だ。
 そこからどんなことになったのかはご想像にお任せする。小出しにするかもしれないが、ともかく今はお任せしたい。

 この年になってやっと自分がアホだと受け入れられるようになってきて、色んなことを諦めた。

 何かを積み重ねても空しくなるだけだし、何かを判断しても一から十まで間違っているし、何かに挑戦したとてロクなことになりはしない。

 だけど無駄にこざかしく教育を受けてしまったが為に、疑問だけはふつふつと湧き上がってくるのである。自分で良し悪しさえ決めることのできない人生とは、一体なんなのだろう。何かを目にしてもすぐ忘れてしまうような頭でもって、何かを経験したり見たりする必要があるのだろうか。生きてていいものなのだろうか、と。

 もはやこの文章が他人に読んで理解のできるものであるかどうかさえ自信が無い。
 誰かが解ってくれるといいな、と思う一方、当然、諦めてもいる。

健忘症

 昨夜は相場がなかったからか、ぐっすり眠れた。
 そしてこんな早朝に目覚めてしまった。

 転がったチューハイの缶を蹴飛ばし、キッチンでホットミルクを作った。

 砂糖を入れ、ベランダへ出て、朝焼けを眺める。風がなくても冬の空気が肌に張り付きヒリヒリする。
 どこかでカラスの啼く声がして、まだ閑散とした道路を車が走っていく。

 目を閉じると彼女のことを思い出す。

 寒い日の朝、彼女の顔が目の前にあって、キスをすると笑って身を寄せる。
 おれが「もう起きなきゃ」というと、
 彼女は「もうちょっと」と胸に顔をうずめて「幸せ」と呟く。
 彼女の頭のにおいをかいで、身体のやわからさやぬくもりが伝わって、安心する。

 この時間が永遠に続けばいいのに。
 あのとき確かに「この子と一緒に、この先の景色を見ていたい」と願った。
 だけど、それは叶わなかった。
 全部自分のせいだけど、過ちがなければ彼女もおれを愛したりしなかっただろう。だから、最初からあれは無かったものだったのだ。
 ここからみる景色のどこかに彼女がまだ眠っているのに、彼女がおれの隣で目覚めることはもうない。
 あの朝も、願いも、何もかも無かったものなのだ。

 最後の日、彼女はおれのことを支えられなくてごめんなさいと言ったけど、おれもまともな社会人に戻って彼女の望む生活を与える自信がなかったから、信じてついてきて欲しいとは言えなかった。

 もうあんな朝は来ない。
 無かったものならいっそ全部、忘れることができたら良い。
 きっとそんな願いが叶うこともないけれど、せめて彼女がおれのことを思い出さなければいいと思う。

 部屋に戻って転がったチューハイの缶を拾うと中身が少し残っていた。仰いで飲んだけど、アルコールは全部抜けてしまっていた。

婚活には難儀した。

 もう結婚は諦めてしまったけれど、社会人になってから数年間、婚活をしてた時期がある。
 今でも憧れはあるけど、随分遠い世界の話になってしまったので手を伸ばす気もおきない、という諦めがついたのである。

 学生時代、人数は少ないとはいえ、普通に彼女を作り、別れ、また違う人と付き合う、ということは出来ていた。
 ところが社会人成り以来、合コンやパーティ、アプリ等での積極的な活動虚しく、ぱったりと交際できなくなってしまった。

 婚活を始めて最初の年、何度か合コンやパーティに参加する内に、多人数での会話が苦手だと気付いたので、サシで会えるアプリでの出会いに切り替えた。

 実際、アプリでは結構な頻度で女の子と会うことができた。
 忙しい部署に配属され、毎日帰りは早くとも20時以降だったが、それでも毎晩のように女性と会い食事をした。土日は昼の部、夜の部に分けて会ったこともある。

 勿論奢るから、月の出費は食事代だけで10万を超えることもしょっちゅうだった。
 しかし交際に至らないのである。

 女は、利害のない男に対してとことん厳しい。
 ドタキャンもザラだったし、待ち合わせ場所で直接顔を見て無言で帰られたこともあった。露骨につまらなそうにしたり、帰りに悪口をLINEで送ってきたり、とにかく精神修養の連続だった。(結果的には1年目の終わりに彼女ができたのだが、すぐ別れることになった。その話は別途)

 相当安定した仕事に就いているし、自炊もできる。人間的には良い人だからといって友人関係になることも多々あった(今でも連絡を取り合ってる女の子も数人いる。)。
 女友達にアドバイスを求めたこともあるけど、結論は判りきっていた。それは、容姿だ。
 低い身長に、汚い肌。およそ女が嫌いなものだ。
 だけど、それはどうしようもなかった。

 20代の若さでこんなに彼女ができないなら、これ以降相手を探すことが困難を極めるのは確実。今頑張りどころだと思った。
 だから必死で努力した。

 底の高い靴を履いたし、肌は病院、栄養バランス、運動、メンズエステ、色々試した。レーザーを試したときには、打つ度に顔面がパンパンに腫れて、痛くて情けなくて、涙が出てきた。

 愛されるってこんなに痛くて辛くて大変なことなのかな、と何度も自問自答したけど、現に彼女が彼女ができないのだからきっとそうなのだろうと結論付け痛みに耐えた。
 でも結局、彼女はできなかった。

 毎晩女性と食事をすることによる睡眠不足、業務自体の忙しさ、合間にLINEやメッセージを何十通も返すこと、そしてそれが報われないこと。

 精神的疲労に圧し潰されそうになっていた2年目の秋、自分で結婚相手を探すのは限界だと悟った。

 そこで、結婚相談所に登録することにした。大手O社だった。

 一般的に考えれば、20代アラサーの年齢で結婚相談所に登録するのは早いのかもしれない。入会金だけで十数万円かかる。ただ長期に亘る婚活で疲れきっていたおれは、神通力に頼りたかったのだ。

 だけど結婚相談所の中身は結局のところ、劣化版の婚活パーティ(参加する度に5千円徴収される)と、劣化版pairsみたいなサイト(顔写真は提携してる写真館で撮らされ簡単に変更できない。手数料も要る)の参加権が与えられるだけで、何かにつけ足元見られて金を取られる劣悪なものだった。完全に時間と金を無駄にしてしまった。
 容姿レベルも職業も、そこらのパーティやpairsと比較にならないほど低かった。本当にどうにもならない弱者が集まる場所なんだと思った。
 自分がそんな場所の一員になってしまったことを恥じたし、そんな場所でさえ結果が残せないことが本当に情けなかった。

 相談所は半年で辞めた。
 相談所での活動中、ひとりだけ普通に可愛い女の子とも出会ったけど、話してみると大学の同級生で、飲み友達になってしまった(結局その子は数か月後にpairsで会った男と結婚するのだが、間際になって「本当は好きだった」と告白された。死んで欲しい)。

 合コンもパーティもアプリも、そして結婚相談所もダメ。女友達に誰か紹介して欲しいと頼んだこともあるけど、
「お前は良い奴だけど、友達に紹介とかするのはね~。笑」
 と躱されるのが常だった。どういうことやねん。

 八方塞がりだった。

 何とか婚活から目を逸らそうと思い、女友達と温泉へ行ったり、旅行したり、体操教室へ通ったり、筋トレにはまってみたり、ルームシェアに挑戦したり、料理したり、読書したり、勉強したりしてみたけど、ほんの一瞬気が紛れるばかりで問題の根本的な解決にはならなかった。

 この頃にはもう、女性という性別自体への憎悪さえ抱き始めていた。そしてそんな自分に自己嫌悪した。
 そして長期の婚活は、明らかに銀行口座の残高を目減りさせた。当時年収450万くらい貰っていたはずなのに、多分同年代平均より低い額しか残っていなかった。

 ああそうか、そういうことか、と思った。
 そこで、考えを改めることにしたのだった。

 自分は、安定した堅い職業に着いていれば未来がある程度見通せるから、女性は靡いてくれるだろう、そう安易に考えていた。
 だけど違った。それは、自分がそもそも愛されるに値する人間だったときに限っての話なのだ。

 4年間コケにされ続けて、確信した。おれは愛されるに値しない。
 となればもう、お金を愛して貰うしかない。おれみたいなクソが愛されるには、金が要る。大金が要るんだ、と。

 そして、起業と相場に手を出すようになった。
 もうこの時点で正常な思考ではない。まともな人間なら、自分の現状を受け入れたり転職して環境を変えるなりして"現実的な落としどころ"を探るはずだ。

 しかしおれは、もう先の見えないトンネルの中にいたくなかったし、そういう賭けに勝利できるようでなければ、もはや人生を受け入れたくない、と思っていたのだった(もっといえば、今でもそう思っている)。

 極端にしか生きられない人間の末路は、どうしたって極端なものになる。

 そして結果からいえばどちらも惨敗で、ただただ2000万円近い債務だけが残った。

 ただ負けが確定するまでの1年間は、すこぶるモテた。
 会えばまあまあの確率で落ちる、落ちれば抱ける、という確変状態に入った。
 実際にお金持ちになったわけではない。

 誇張抜きに既往数百人の女の子と会って、これまでほぼ何もなかったことを考えれば、巡りあわせの問題でもないだろう。
 多分、夢を語ってリスクをとる男は魅力的なんだろうと思う。リスクをとるまでは、夢は善き父善き夫だなんて寝言をまともに言っていた。

 しばらく蜜月を過ごした。

 ああそうだ、女の子っていうのはこんなに優しいんだ、ということを思い出した。
 中にはおれと結婚したい、と言ってくれる子もいた。好いてくれた女の子たちは皆可愛かったし、ちゃんと働いていた。
 数年前なら一も二も無く結婚の申し出に応じただろう。

 だけど、今のおれには、誰かを幸せにしてあげることはできない。
 男の価値は甲斐性だけど、借金を返すアテもなければ、破産したところでまともな社会人に戻れる気もしないのである。心が折れてしまったからだ。

 今、手元には数千万円の借金が残っている。

 そうだ、それは誰かに愛されたかったからしたんだった、と思い出した。誰かの特別になりたかった、独りになるのが嫌だった。
 そのせいで喉から手が出るほど欲しかった愛が目の前に転がってても掴めなくなってしまうなんて、皮肉だ。だけど時間は戻せない。

 ただ、今、気持ち的には本当に楽だ。
 多分ひとは「掴めそうで掴めないもの」に苦しみを感じるようにできている。そもそも掴めないから、苦しみも感じない。

 本当に、婚活には難儀した。

中国湖南省旅行記

 機外に出ると、異国の臭いがした。
 何度海外へ行っても、どきどきする瞬間だ。肺の空気が、中国の空気に入れ替わる。別の人間になったような気がする。

 病院の待合室のような古びた空港を進み、ATMを見つけ、クレジットカードを入れ、現地通貨を取り出す。 
 初めて中国へ行ったとき、闇両替で人民元を手に入れたことを考えれば、飛躍的な進歩だ。

 今回湖南省を訪れたのは、中国人の親友P子から、結婚式の案内状が届いたからだった。

 7年前、友人に誘われるまま初めて大連を訪れた。それが初海外だった。
 そこで偶然入ったファミレスで出会ったのがP子だった。
 当時P子は日本語を勉強する大学生で、おれも第二外国語で中国語をとってたから、すぐ意気投合して仲良くなった。

 大連で最後に別れるとき、再会を誓った。彼女にとって大事なときには必ず行くと約束した。
 所詮拙い約束で、そのときはあんまり現実感がなかったけど、月日が経つのは早い。

 あれからお互い沢山の外国人との出会いを経てきたけど、P子は約束を覚えていたし、7年もずっと大事に思っていてくれた。

 おれの現状からしてみると、正直旅なんてしてる場合ではないし、約束を破ってもP子は許してくれただろう。だけど、行かなかったら自分で自分を信じられなくなるという確信があった。
 だから何とか時間とお金を工面して、参列することにした。

 ただ紆余曲折あって、中国に一か月近く滞在しなければならないことになった。
 そんなに時間があるのに、ただ目的地に着いてそのまま帰るのでは、渡航機会が勿体ない。湖南省なんてこんな機会でもなければ、もう行かないかもしれない。
 そこで、横断旅行することにしたのだった。

 湖南省は国の一地域に過ぎないけど、「省」は非常に大きい括りで、面積は日本の本州に匹敵する。
 湖南省という名の地域が存在することは知られてるけど、一体どういう場所なのか、外国人にとっては結構謎だ。実際、日本の旅行会社で湖南省の旅行を扱うところは殆どない。
 だから大まかな旅程も個人が書いたブログから色々推測しながら作った。
 結果、湖南省の西に位置する貴州省銅仁の鳳凰から旅を始めることにした。

 湖南省の西に位置する貴州省・銅仁鳳凰机場は、建物だけなら大きめのパーキングエリアくらいの規模の空港で、乗降客数も少なかった。
 だからあらかじめ手配していた現地のドライバーとも、すんなり落ち合うことができた。
 運転手は同年代くらいの爽やかな好青年で、ほっとした気持ちになった。

 時刻は21時30分。
 到着ゲートから外へ出ると、小雨が降っていた。空気は冷え込んでいて、防寒具を持ってきたことに救われた。

 空港の周囲にある僅かな建物の他は、辺りの山々への山道があるだけで、一面の闇だった。

 車に座り、地図アプリで目的地までの距離を確認すると、100kmとの表示された。

 一応「目的地まではどのくらいで着く?」運転手に問いかけると、
「一時間くらいかなぁ」との応え。

 100kmの道のりを1時間っていうことは、こいつ山の中を時速100kmで走るつもりなのか?と思うまもなく、勢いをつけて車は発進し、山道に入っていった。

 他に夜道を走る車は無かった。おれの夜目にはほぼ何も見えないけど、運転手は迷いなく闇の中をスイスイ走っていく。速度もグングン上がっていく。どう考えても飛ばし過ぎだと思う。

「ちゃんと道見えてる?」と訊くと、
「見えてるときもあれば、見えてないときも、ある!」などと言う。

 ギャギャギャギャ!
 不穏な音をたてながら、車はS字カーブの山道を上っていった。不安な気持ちが頭をもたげて来た。

 日本は、国土の殆ど全土に誰かが暮らしている。他方中国は、国土の殆どが未開の山林や砂漠、草原で、人が住んでいる都市や集落が占める割合は大きくない。集落同士を道路や線路、空路が繋いでいる。
 車窓を流れる夜の森を見ていると、ここで車から放り出されたら終わりだなあ、と思う。
 たまにポツポツ現れる営業してるかも微妙なモーテル以外、ひと気の無い山道を走り続けた。

 

 22時30分。山の中に、急に大きな建物が現れた。
 きっかり1時間で「鳳凰古城」を中心にした町、鳳凰県に着いた。

 

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 派手な電飾の付いた街灯が現れ、人影が増えてきた。
 運転手に報酬を支払い、古城内にある宿泊所にチェックインし、荷物を預けると、宿泊所の若い女性従業員が地図を片手に鳳凰古城について説明してくれた。
 彼女は英語を喋ることができた。

 業務上やっといたら便利そう、という理由で1年くらい勉強したらしい。
 英語と中国語は文法が同じだから、単語さえ覚えれば中国人は日本人と比較して遥かに早く英語を喋れるようになる。とはいえ、独学でこんなに流暢に話せるようになるのか、と驚いた。
 一般的な中国人は英語を使えないので、かなり助かった。おかげで移動手段やら色々質問をすることができた。

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 鳳凰古城は「箱庭」になっており、中心地から少し離れると、すぐ森と原野になる。時計回りに見て回れば、1日もかからず町全体を見て回れることが判った。
 ミャオ族・トゥチャ族という少数民族(一般的な中国人は漢族)が住んでおり、独自の民族衣装をまとい、民芸品や写真を売って歩いている。

 この辺りは山に囲まれていることもあり、懸棺、纏足といった独自の風習が育まれていた。P子の故祖母は纏足持ちだったというから、本当につい最近の話だ。
 辛亥革命は100年も前の話だけど、山村に入っていくと未だにその「残渣」を見ることができるという。

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 鳳凰古城は、風光明媚を売りにしているイメージを勝手に持ってたけど、実際には町全体が飲み屋街というか、クラブバーみたいになっていた。
 EDMが町中に響き渡り、ネオンが宙を舞っていた。

 若い男女が踊り、酒を飲み、暗がりへ行くと(略)
 どこの国も、若者が欲しがるものはそう変わらない。

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 店前に「単身美女免費(ひとり身の若い美人はタダ!)」と書いてあるところも結構多くて、色々工夫してるみたいだ。もっと中国語が読めたら、こういうジョークが他にも解るんだろう。

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 勿論、ライトアップされた古い町並みは本当に奇麗だ。
 バーで酒を飲んでると、若い酔った男女が「フゥワッ↑」等といって絡んで来たので、おれも一緒になって踊った。
 日本やアメリカのクラブとお作法みたいなものは一緒だったので、苦手だけどちゃんと踊れて良かった。フゥワッ↑じゃないんだよフゥワッ↑じゃ。思い出すと頭が痛くなる。でもめちゃくちゃチューしてもらった。
 こういうことができるギリの年齢だと思うので、若いうちに来といて良かった。

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 24時を回ると条例だとかでEDMは止み、ネオンも消えた。
 手近な店で臭豆腐を食べてから、宿へ帰ることにした。
 相変わらずクソみたいな臭いと味のする食べ物だ。毎回二度と食うものかと心に誓い、毎回とりあえず食べてみるかという気持ちになる。半分くらい食べ残して、その辺のゴミ箱に放り込んだ。

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 宿でシャワーを浴びようとすると、お湯が出なかった。
 雨で気温も冷え込んでたのできつかったけど、昔、高尾山の寺で滝行したときのことを思い出して我慢した。

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 2月の凍った高尾山の滝に比べれば、10月の中国の冷水なんて、何てことない。...ということには全くならず、ガタガタ震えながらエアコンを付けようと思い、リモコンを探した。が、中々見つからない。
 よく見ると壁に「空調30元」と書いてあった。30元は大体500円くらいだ。
 節約の為に安宿に泊まっているのに、エアコンに500円も払ってたまるか!と思い、着こんで寝ることにした。
 ふと気付いて、ドライヤーと湯沸かし器をつけっぱなしにしておいたところ、多少マシになった。

 オラ、ドライヤーと湯沸かし器の方が電気代かかるだろうが、空調ケチるからだぞ!と思ったが、どちらも5分くらいしたら止まってしまった。
 しばらく震えていたが、長旅で疲れてたのか、知らないうちに眠りに落ちた。

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 翌朝、相変わらず小雨が降っていた。
 近くの店で100円くらいの肉粉麺を食べ、町をまた一巡した。

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 古城から少し離れると、普通の町になっていた。古い建物、三輪自動車の排気ガスの臭い、割れた道路、野良犬。

 また来てしまったな、と思う。

 

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 売店を見つける度にミルクティを飲んでたので、それだけで腹がパンパンになった。本当に中国人のお茶のセンスは素晴らしいと思う。バリエーションも豊富だ。

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 昼のうちに粗方見回ったので、次の町へ行くことにした。
 荷物をまとめ、宿を出る。小さめのリュック一つに全財産が収まってしまうような根無し草なので、荷物をまとめるのも簡単だ。

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 長距離バスの乗り場へ行き、チケットを買った。
 中国はバス文化が発達してるので、とんでもない山奥にでも大抵、長距離バスの乗り場が存在する。
 当然ここまで田舎となると、売場に英語等のガイドはない。日本人なら漢字と状況判断で何とかなるけど、他の国の人なら詰んでしまうんじゃないだろうか、と余計な心配をしてしまう。

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 バスの待合室は古くてカビ臭くて、ハエが飛んでいた。トイレは臭く、汚い。西成区を思い出した。

 待合室に備え付けの売店でコーヒーを買い、バスの到着を待った。
 しかし待てど暮らせどバスが来ない。45分くらい遅れている。と、気付いてバスの待合室の時計を確認したところ、3つある時計のすべてが別々の時刻を指していた。
 近くにいた行商っぽいおじさんに「バス、遅れてるのかな」と訊くと「おれもおかしいと思ってる」との返事。良かった、じゃあ大丈夫だ。

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冗談なのか本気なのか、携帯不許可品にTNT爆雷

 間もなくバスが来た。
 「張家界行」のゲートからバスに乗ろうとすると、乗務員が鬼の形相で「早くしろ、モタモタするな!時間に遅れてる!」と叱責する。
 なんでやねん、遅れてるのはお前らの責任だろ、客を急かすなや!と思ったけど、どうすることも出来ないので子犬のようにおとなしくしてた。

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 4時間以上バスに揺られた。
 中国人はバスの中でも歌ったり踊ったりしてて、本当に陽気なんだなぁ、と思ってたんだけど、乗務員がまた鬼の形相で「黙れクソ!!」みたいなことをマイクで叫んでたので、別に陽気ってわけでもないんだなぁ、と思い直した。

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 途中パーキングエリアで5分ほど休憩。
 パーキングエリアの建物はかなり巨大で、客も少ない。中には小さい売店が一つ入っているだけで、めちゃくちゃ面積が余ってた。土地が広い中国らしい、日本とは感覚が違うな、と思った。
 そこで20円くらいのチマキを買って食べたが、味は日本のものとさほど変わらない。美味しかった。

 車窓から見る景色は相変わらず山だったけど、よく見ると土の色も、山の形も大きさも、何もかも日本とは違っていて、見てて飽きない。

 

 まもなくバスは、張家界に到着した。

 空を見上げると、町全体を横切るように巨大なロープウェイが走っていて、ゴンドラが遥か空の彼方、雲の中に吸い込まれていくのが見えた。

 張家界市は、市内に霊峰・天門山と、世界遺産・武陵源を擁する。
 天門山の崖に張られたガラス張りの回廊は、日本のニュースでも何度も取り上げられてきたし、武陵源は映画アバターのモデルとなった場所でもある。
 税収のメインは観光で、相当潤っているらしい。町にはゴミ一つなく、お店も設備も何もかも真新しい。マクドナルドもケンタッキーも、張家界を紹介する無料の博物館も図書館も、コンサートホールもある。

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 工場地帯ではないし、周囲を山に囲まれてるし、町のど真ん中にダムもあったりするので、空気もかなり綺麗だ。
 治安も良いし、レンタサイクルもそこかしこにあるし、シンガポール以上かもしれない。

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 さておき、まずはホテルを見つけなければならない。
 事前にネットで予約したものの、英語サイトだったので不安があった。というのも、国外と繋がる意思のある新興ホテルは大抵、中国名と別に英語名を持っている。
 外国人への配慮だと思うけど、実際に外に出ている看板や地図上の表示は中国名なので、自力での発見は事実上困難となる。
 一応電話番号はサイトに記載されているものの、中国の電話番号なんて持ってない。

 そういう訳で、ものの見事に迷子となった。住所的にすぐ近くまで来てるはずなんだけど、そういう場所に限って宿が密集してて、どれが正解か判らない。もうお金は払ってしまってるし、諦めて適当な宿に入ろうか...。

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 小一時間彷徨い、ふと気付くと、近くのホテルの受付から年齢的には高校生くらいの女の子がヒラヒラ手を振っている。

「困ってる?」等と言う。よほど困り顔をしてたらしい。
「うん。ここに行きたいんだけど、判る?」

 スマホでホテルの予約画面のスクリーンショットを見せた。

「電話番号判る?連絡とってあげる。そこ座ってて。」

 従業員でもないのにホテルの受付に座って、彼女の親切に甘えることにした。受付にはストーブが置いてあって、温かかった。なんだか不思議な感覚がする。

「ん。」

 少女が電話を耳に当てながら、ミカンを押し付けてきた。

「近所だから、ホテルの人が迎え来てくれるって!」

 少女と雑談しながらミカンを食べた。どこから来たのか、どうして来たのか、どういう仕事をしているのか、他愛もないことを話した。彼女はニコニコしながら、おれの下手くそな中国語を聞いている。

「ねえねえ、英語喋れる?」と訊くので、うんと応えると、「じゃあこの子と話ししてみて!」と、英語を勉強中だという友達とTV電話を繋がれた。
 TV電話の友達は明らかに寝起きって感じで、「いや何か電話かかってきたけど、誰?」とか言ってた。そりゃそうだよ!でも、しばし英語で会話した。

 何だろう、この人懐っこさ。異文化って感じだ。

 しばらくすると、予約してたホテルの人が迎えに来てくれた。

 女の子に、「ありがとう、助かったよ」と伝えてチップを渡そうとしたけど「いやいやいやいやいや、とんでもない!」というリアクションをされて拒まれてしまった。野暮なことをしてしまった。

 夜、P子にWechat(LINEみたいなアプリ)で「こういうことがあってね...」と話すと、「湖南人は親切だからね~」と言ってた。

 それからも旅の途中、色んな人に何度も助けられた。

 7年前、大連に滞在してたときに日本で3.11があった。
 当時大学生のP子も、福島に行って復興支援をする方法を探したり、日本の惨事に思いを馳せて泣いてくれたな、と思い出した。
 あのとき、中国からは日本の状況が全然判らなくて不安だったけど、なぜかそれだけで随分救われた気持ちになった。それは個人の特性だと思ってたけど、そういう困った人をほっとけない省民性?なんだろうか。

 ただ、助けてくれた人に自分が日本人だと申告すると、「そうなんだ...」というリアクションをされることが度々あった。だからって特別嫌な思いをしたことはないけど、上海や広州では無い反応だった。
 南方の内地の人にとって、日本人というのはやはりセンシティブな存在なんだろう。

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 辿り着いたホテルの部屋は狭かったけど、清潔だった。何よりちゃんとお湯が出た。
 前日は満足にシャワーを浴びてなかったので、思う存分身体を洗った。

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 翌朝、相変わらず雨が降っていた。中国に来てから一向に止む気配がない。空気も冷え込んでいる。

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 外へ出て、朝食に中国版のハンバーガーみたいなものを食べ、ロープウェイ乗り場に向かった。天門山へ行く為だ。ロープウェイはそのまま山頂付近まで通じている。
 乗り場は町のど真ん中にあるから、朝から晩までゴンドラが町の天井を行ったり来たりしていて、ちょっとした非日常だ。
 早朝しかも雨にも関わらず、乗り場には長蛇の列ができていた。

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 やっと列を抜けゴンドラに乗り込んだ。
 ゴンドラが雲に入った時点で、嫌な予感がしてきた。この分厚い雲、山頂に着いても何も見えないんじゃないのか...。

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 周りのおばちゃんらが「大丈夫よ、標高が高ければ雲も晴れるわよ!」みたいなことを言ってお互いを鼓舞していた。

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 が、まあ勿論そんなことはなくて、普通にサイレントヒルくらいの濃霧に覆われていて、辺り一面真っ白だった。

 景色が余りにも変わらなすぎるので、ダッシュでみて回った。空気が薄かったので気持ち悪くなった。滞在時間約1時間程度で下山することにした。

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 天門山は、断崖の上に島が乗ってるようなテーブルマウンテン様の形状をしている。よって坂道を下って下山というわけにはいかないので、山のど真ん中をぶち抜いたエスカレータで麓まで下山する。

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 江ノ島エスカーの超巨大版を想像すると判り易い。こういうスケール感覚は日本にはないので、単純に凄いと思った。
 ロープウェイやエスカレータのなかった頃は、本当に仙人が住むような聖域だったんだろう。

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有料のエスカレータを使いたくなければ階段があるにはあるが...

 麓のバス乗り場から、張家界市の中心に帰る。バスからの景色も本当は絶景らしいんだけど、霧で景色が見えないので「やたら揺れるバスだな...」「早くおうち帰りたいな...」以上の思いにならず、本当にツイてなかった。
 冬になると空気が乾燥して綺麗に景色が見えるらしい。

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 まだ昼過ぎだったので、市内を見て回った。

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 適当にぶらついていると古城を発見した。
 見て回っていると、古城内の露店でお姉さんに呼び止められた。お酒が1皿6元だというので、飲んでみた。スポーツドリンクみたいな味だったけど、度数はまあまあ高かった。
 「飲み終わったら、その皿をそこに放り投げて捨てて。願いが叶うわ」と言われ、見ると割れた陶器の皿が山になっていた。

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 で、少し困った。そういえばおれって何が欲しいんだっけ?荒唐無稽なものや、事実上困難になってしまったことなら沢山ある。だけど、今欲しいもの。

「ない!」

 何も願わず皿を放った。パリーン!と良い音がして皿が割れ、お姉さんが「きっとうまくいくよ」と笑ってくれた。

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 夜になり、8時を過ぎると大抵のお店が閉まってしまう。
 やることがないのか、駅前に行くと大勢の人が歌ったり踊ったりしていた。やっぱり彼らは陽気だと思う。この踊りは大連でも見た。
 何なんだろう。彼らにとって当然の日常がおれにとっては非日常で、まだまだ知らないことが沢山ある。

 張家界は本当に近未来的な街で、気に入って結局3日も滞在した。その間、最後まで天気がちゃんと晴れることはなく、武陵源にも行かなかった。

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 出発の朝、張家界駅横のマクドナルドで朝マックを食べた。メニューは違うけど、値段もセット700円くらいで店内設備も日本と変わらない。これで採算がとれるということだ。
 7年前、食事700円は高級の部類だったけど、店内は普通に若者で埋められてて、日本と変わらない。

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 窓口でパスポートを提示して、電車の切符を受け取った。
 地図アプリから直接切符を購入することができるんだけど、購入画面を眺めてたらどんどんハケてったので、まずいと思って予めネットで購入しておいた。全席指定なので売り切れると乗れない虞があったからだ。
 日本の新幹線やバス等の切符の購入は本当に複雑な仕組みになってるけど、中国はインフラ整備が後発だったせいか単純で解り易い。日本をインフラ後進国と揶揄する人も結構いるけど一理ある。中国の鉄道は時間がおおざっぱだけど、彼らは余り時間に追われてないので短所とは言い切れないかもしれない。
 さてそこから空港並みの身体チェックを経、駅に入構する。バックパックにさしてたミネラルウォーターが開封済みだったので、「今ここで飲んでみろ」と言われたのにはビックリした。

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 中国の鉄道では、駅に入ってもすぐホームに入ることはできない。発車10分前くらい迄、待合室で待機しなければいけない。
 待合室で待ってると、白人のカップルがそわそわしてたので
「大丈夫?」
 と話しかけてみた。ロシア人だった。彼らはホッとした顔で
「ウルムチに行くんだけど、ここで待ってればいいんだよね?」
 と訊くので、チケットを見て、電光掲示板を確認して、
「うん、次の次の電車だね」
 と応えた。ほら、やっぱ漢字読めない人が困ってるやんけ。またレペゼン日本として世界平和に貢献してしまった。

 そうか、この駅からウルムチ行の列車が出るんだ、と思った。
 ウルムチは、シルクロードの中間地点だ。住んでいる人種も違う、イスラム教徒の町。
 地球の一周の何分の一という長さで敷かれた線路の上を、孤独に走り続ける列車に思いを馳せる。
 モンゴル草原をこえ、ゴビ砂漠をこえ、タクラマカン砂漠を横に見て、枯れたオアシスや廃棄された都市の横をただひたすら走り続ける。すぐそこに天山山脈とアルタイ山脈があって、知らない人たちが住んでいる。
 この列車に乗るのに、2千円もかからない。今心一つ決めるだけで想像もできないような景色を見ることが出来る。ロマンじゃなくてなんだろう。

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 ロシア人のカップルと別れ、長沙行きの列車に乗った。
 骨董品みたいな旧式の電車は、唸りをあげるように震えていた。
 二等車のテーブルの上には鉄皿が置かれていて、その中にゴミやタバコや痰を捨てる。祖父母に聞いた、昔の日本の電車みたいだ。

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 まもなく電車が出発した。
 車内では、相変わらず中国人が歌ったりしている。スマホで動画を見ている人も、イヤホンは付けずスピーカーで聞いてるし、行商が知恵の輪やドローンを売りつけようと車内を練り歩いていた。
 車窓に広がる山脈や知らない街を眺めた。心の中で世界の車窓からのテーマが鳴る。ここで降りたら、どんな生活があるんだろう。

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 4時間もウトウトしてると、窓の外に高層ビルの並ぶ都市が見えた。町全体を黄色いスモッグが覆っていた。
 中国でも有数の大都市・長沙に着いた。

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 長沙には結構長いこと滞在した。
 風邪をひいたり自炊に挑戦したり色んなコミュニティに参加したりしたけど、あんまり特筆するようなことはない。

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自宅にヘリポート備え付けの自宅も結構ある

 湖南大学の近くで日本語の先生をしたり、相場をしたり、要するに普通に暮らしていた。
 在来線の他リニアモーターカーも新幹線も地下鉄も走っているし、ジャンクフードもあれば手の届かないフレンチもある。中国人の大卒の可処分所得はもはや日本人より遥かに多いみたいだけど、依然貧乏な人も多いので、質素倹約もできる。

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街の中にこういうカラオケボックスが置かれていて歌声はだだ洩れ

 ただ、現地で出会った中国人はそんなに裕福でない人でも、本当にお金をよく使った。
 今100元の価値のお金を手元に残しておくより、未来のために今使ってしまった方が得だ、と解っている。これは彼らが自分たちの経済成長を信じてるからできることだ。おれ達は、何かを買っても値下がりすることがあると思ってるし、将来賃金が増えることは無い、と確信しているんだから、そりゃ勝てないな、とつくづく思う。

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街中に自動図書館が沢山あって、市民が本に親しんでることが判る

 途中スマホが壊れるハプニングがあり暫くノンデジタル生活を送ってたけど、そもそも日本からの連絡は金盾(中国のネット封鎖)のせいでほぼ届かなかったので、写真がとれないことと日記が書けないこと以外、さほど不便しなかった。大事なことはネット喫茶で事足りた。
 ふらっと立ち寄った電気城という海賊版とかジャンクパーツとかが集まるギーク御用達のちょっとアングラな場所でスマホをバラバラに解体し換装して貰ったところ、スピーカーとイヤホンジャックを壊された代わりに、2千円くらいで一応元通り通信とカメラが使えるようになった。

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 普通に生活を送る分には東京ともはや何も変わらず、不便ないどころか、安上がりですらある。
 ただ景色が目に馴染むに連れ、日に日に心に落胆のような何かが広がっていくのを感じた。 f:id:datchang:20190219152918j:plain

 友人P子の結婚式に参加する為、湖南省の中心・懐化市中部の龍漂鎮という村を目指した。位置的には張家界の南方に位置している。

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 長沙から新幹線で最寄りの溆浦南駅に降りる。マイナー駅だと思ってたけど、それなりに乗降客数もあるし、設備も綺麗だった。
 自力で村まで辿り着こうと思ってたけど、P子から「心配だから車で迎えに行く」という申し出があり、有難く甘えることにした。

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 駅の外へ出ると、すぐP子と落ち合うことが出来た。
 彼女のお腹はもう大きくなっていて、6か月の宝宝(子供)がいる。お腹に耳を付けると、鼓動がおれにも判った。
 まるで昨日別れたように旧交を温められた。嬉しさを隠そうとしないP子の様子を見て、来てよかったと思った。
 P子みたいに、会いたいけど中々会えない外国人の親友が沢山いる。彼らもこうして再会を喜んでくれるんだろうか?
「それで、結婚して何て名字になったの?」と訊くと
「結婚して名前が変わるってどういうこと?」と逆に訊き返されてしまった。
 どうやら中国は夫婦別姓らしい。日本と同じ儒教仏教文化圏で、家族的繋がりの強い中国が夫婦別姓だというのは、個人的には結構驚きだった。
 
 暫く待ってると、P子の同級生や妹がやってきた。
 中国は最近まで一人っ子政策で、一家庭子一人という制限があると思われているけど、実際は科料を支払えば済むのでさほど厳密ではなく、兄弟姉妹のいる中国人は割といる。

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 同級生の運転する車に乗り込み、連れ立って村へ向かうことになった。細い山道を延々と2時間くらい走る。

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 同級生も積極的に絡んでくれて、「台湾っつーのはな、中国のものなんだぜ」だとか「ここらの山からはな、淡水が湧いてくるんだよ。日本人も淡水を飲むのか?(←イジられてる)」だとか冗談交じりに話しかけてくれて、飽きない。「タバコ吸うか?」とか「檳榔(ビンロウ)食うか?」だとかいって、色々くれた。
 タバコがダウナー系なのに対して、檳榔はアッパー系の合法ハーブだ。台湾特有の嗜好品かと思ってたけど、中国南方でも割とポピュラーらしい。
 台湾は生檳榔が一般的だけど、中国では加工して効果をブーストさせたものが一般的みたいだ。
 口に含むと、内臓が熱を持って、目がギンギンしてきた。生檳榔とは段違いだ。これ本当にヤバいもん入ってないんだろうな。「初めてなのか、凄いだろ」とお調子者のドライバーが笑う。
 そうこうするうちに車はP子の故郷、龍漂鎮に到着した。

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 見渡す限りの田園風景、未舗装の道に砂塵が舞っていた。中国の中でも最貧に位置づけられる土地だ。

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 田畑には鴨が走り回り、害虫を食べているらしい。タクシーはなく、二人乗りのバイクタクシーが村を走り回っていた。
 観たこともない景色のはずなのに、何故か郷愁が湧いてくる。
 多分、戦後この村を訪れた数少ない外国人の一人だろう。ただ昔この辺りで日本軍との戦闘があったという石碑があったので、日本との禍根は未だばっちりあるみたいだ。

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 小さいながらスーパーはあるし、病院もあるので普通に暮らす分には困らない。問題は仕事だけど、過疎地よろしく若者は大体出稼ぎに出ていて、村は殆ど年配の人ばかりだ。

 

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 P子の家族の写真は7年前に何度か見たことがある。美人で仲の良い妹に、優しい両親。実際会って前評判通りで、何だか感慨深い。

 そこから彼らとの生活が始まった。
 伝統的な結婚式では、親しい友人や親戚が来訪して、三日三晩寝食を共にする。飯を食べ、語り合い、それが一連の儀式として一族の絆を確認することになる。

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 ここまで中国の奥地ともなると彼らの会話する言葉はいわゆる北京語ではない。彼らは北京語も喋れるけど、余程ゆっくり喋って貰わないと中国語での意思疎通は難しかった。
 言葉も中々通じないし、彼らの大半はきっと日本人を嫌ってたろうと思うけど、終始温かく迎えてくれた。

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 1日3~4食、そこら辺を歩いてる豚や鴨、魚を屠って大量に作られた中華を皆で一斉に食べる。

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 一緒に卓に着く人数が余りに多いので、ポリバケツの中にご飯が入っていて、そこから飯をよそう。臭いも独特だし、食事は美味いものもあればちょっと勘弁して欲しいと思うものもあった。量も多いし回数も頻繁だし、基本的に脂っこかったし、それでもバクバク食べまくる中国人の胃腸は本当に強い。
 大人は忙しいし言葉が通じないので、おれは子供たちとよく遊んだ。

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「お兄ちゃんはどこから来たの?」
「日本だよ」
「何いってるか全然わかんない!」
「日本だって」
「変な発音~!」
 そんなことで笑い転げて「グーグー(お兄ちゃん)グーグー」と慕ってくれる彼らを見てると、どこの国でも子供ってのは本当に可愛いと思う。
 そうこうしてると年長の聡そうな男の子がやってきて
「日本っていうのはね、中国じゃないんだよ。」
 と子供たちに説明してくれた。すると子供たちの中で知ったかぶりっぽい子が周りの子に耳打ちをした。
 何を耳打ちしてたかわからないけど、鬼子(日本人への中国での蔑称)という単語が聞こえたので、きっと親から何か吹き込まれたんだろう。そこから遊んでくれる子供が急に少なくなってしまって、少し寂しい思いになった。
 それでもおれがどこかにいると「お兄ちゃん遊ぼうよ!」と探し当てて言ってくれる子供たちも何人かいて、何だか別れが辛くなった。情が移る前に早くここを去らねば、と思った。
 彼らの人生できっと初めて会った外国人だから、善い思い出であって欲しいと思う。でもきっと忘れられちゃうんだろうな。

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 ときおり貰いタバコや貰い檳榔をしていると、あっという間に日が暮れた。
 そうして牧歌的に過ごしていたら、P子の同級生男子の一人・唐君が村の案内を買って出てくれた。
 ここはこうで、あそこはああで、と説明してくれる。彼の言うことは半分くらいしか解らなかったけど、伝わらないなりにフラットに接して貰うことが本当に有難かった。気の良い奴だ。ふいに彼が
「ところで君は何族なんだ?」と訊くので、
「何族っていうか、日本人だよ」と返すと
「いや日本にも種族があるはずだ、大和族とか、アイヌとか沖縄とか」などという。
 初めて意識した。そうか、そうだよな。おれは日本人の大和族という部族なんだ。海外に出ると自分のアイデンティティの外枠がはっきりする瞬間というのが稀にあるけど、久々に「あ、本当そうだわ」と思った。

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 そして最終日、朝の5時、おれはP子の部屋に呼ばれた。
 ウエディングドレスを纏い化粧をしたP子と女友達は、部屋で籠城するのだ。おれは女じゃないけど外国人だから別枠。
 暫くすると、部屋を男たちが蹴破ろうとする。「開けろ!」だとか喚きながらドアを叩きつけていた。新郎の友人達だ。
 女達は、ドアにカギをかけ、必死で押さえつけ、「早くあっちへ行け!」みたいなことを男達に叫ぶ。
 そんなやりとりを数度繰り返し、昼になった頃、しぶしぶという体裁で新婦P子が部屋から這い出して来る。アマテラスみたいな仕組みだな、と思った。
 そして新郎とともに両親に別れの挨拶をし、家財道具をまとめた籠を背負って、新郎の家(新居)に皆の車で大名行列をつくり運び込む。

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流石に現代では車だけど。

 新郎の家に着くと、新郎の一族が爆竹を鳴らして歓迎してくれる。中国人は本当に爆竹が好きだ。

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 そこからはぬるぬると用事がある人から順番に解散となる。結構大がかりで、友人たちの積極的な介入が必須になるイベントだったので、人徳が無い奴の結婚式どうなるんだろうと勝手に心配になった。貴重な経験をさせてもらった。

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 皆早朝からのイベントで疲れたのか、新居でTVを見ながらダラダラ過ごした。
 P子が煎餅をバリバリ食べながらソファに寝っ転がって、「中国で働きなよ!」とか、「早く結婚しろ」、「ガキ作れ」だとか、近所のおばちゃんみたいなお節介セクハラを言ってくる。
 かと思えば血の気の多い男たちの前でビッグママみたいにまとめてたりして(そのときはガハハと笑う)、余りの貫禄のある堂に入った中国人妻ぶりに笑った。流石に彼女も経営者をやるだけのことはある。愛されるはずだ、こりゃ幸せにもなるわ。

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 年月が経つのは早いなぁ...。
 そうこうしているうちに、村を出る迎えの車がやってきた。見送る彼らに別れを告げ、家を出た。

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 旅の終わりに、長江へ向かった。
 アジア最長の大運河、長江文明発祥の地で、湖南省の北東端だ。

 長沙から新幹線に乗り、岳麗へと向かう。

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 発車して暫くすると、通路を挟んだ反対側の二連席に座る大学生くらいの女子二人組が、スマホのスピーカーからポップミュージックを垂れ流し始めた。
 暫くは気にも留めなかったけど、日本語の曲が混じっているのに気付いた。
 ちらっと見ると、彼女たちと目が合ったので「日本の歌?」と話しかけた。
「日本人なの?」
「日本人初めて見た!」みたいなことを言ってたけど、薄々おれが日本人だと判ってて日本語の歌を流してたような気がする。
 やっぱりというか、若い女子の間ではtiktokが流行っているらしい。TwitterもInstagramも中国では使えないけど、tiktokは中国製なので使うことができる。
 アジア圏では広まっているので、他の国の人がアップロードした洋楽やJ-pop、K-pop、たまにベトナムとかタイの音楽にも触れるらしい。そういえばP子や彼女の妹も西野カナの歌を日本語で歌えた。
「これ知ってる?これは?これは?」
 と彼女たちが聴かせてくれた花澤香菜の恋愛サーキュレーション、まじ娘のアイロニ等々(あとは忘れた)...日本人のおれの方が余程知らない。聴いても若い子の音楽っぽい!と思うだけで全然ピンと来ない。
 色々聴かせてくれたけど、その中ではヨルシカの雲と幽霊は良い歌だなと思った。動画サイトのURLを貰ってBGMにした。

 旅の途中TVでやってた中国のMステみたいな番組で覚えた女性歌手のワンフレーズを披露したら、腹が捩れるくらい笑ってくれた。
 それは「心の中のあなたの存在がうんぬんかんかん」という内容の歌詞なんだけど、それを中国語で「脳海裡」と表現してて、「ふと意識に上ってくるものを心と言わずに脳みその中身って表現するんだ、凄い!文化の違いだ!」と感動して覚えていたのだった。TVも見ておくものだと思った。

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 彼女たちと別れ、岳麗東駅に降りた。ここからバスに1時間ほど乗ると、長江の畔にある岳麗区に着く。
 食事が未了だったのでブラブラ飲食店を探していると、めちゃくちゃ亀がイジメられてる現場に遭遇した。

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 勿論助けてないけど、「亀ってマジでイジメられることあるんだ!」という謎の衝撃があった。

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 長江(到着したのは実際には支流の部分)に着くと、対岸が地平線の彼方に消えて見えなかった。
 タンカーみたいな大型船も行き来しているし、釣り人もちらほらいた。
 海と違って磯の臭いもしないし、風も違う。不思議な感じがする。河辺には浜の代わりに草原が広がっているし、天気も良かったのでめちゃくちゃ気持ちいい。

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 河岸を歩いていると、望楼の近くには三国志の周瑜の妻・小喬の墓があり、ここが呉領だということを思い出した。何kmか北上すれば、赤壁もある。

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 河岸を歩き続け、湖南省の端に辿り着いた。旅が終わった。水面に夕日が沈んでゆく。
 これからどうしよう。

 行く当てがない。これから先のことが一切決まってない。
 日暮れの中、街灯も車も建物もない。途方に暮れて、来た道を引き返した。

 

 

海と花束

 

 H子が中絶する日の早朝、YはH子と新宿で会い、25万円を手渡した。

「最低限の責任を取れたと思える形にした。」とYは言った。

 中絶をする理由は世の中に色々あるから、その承諾書に男の名前は必ずしも必要ではないとのことだった。

 YはH子の手術には付き合わず、そのまま出勤した。

 後日、Yと酒を飲んだ。

「まあ中絶費用は安くないですけど、痛みを味わわないだけ男は十分お得ですよ。25万くらい、大したことじゃありません。」

 勿論、今回の妊娠・中絶で悪いのはYだけじゃない。だから彼を責めるのがお門違いだとわかっていた。それでも、どうしても言葉が刺々しくなってしまった。

「わかってるよ。暫く自重するよ。」

 そして一息ついてYは言った。

「だっちゃん、彼女イイ人過ぎるね。めちゃくちゃ罵ってくれたら、その方が俺も救われたのに、何も言われなかった。逆に謝られちゃったよ。」

「救われたいだなんて思ったらダメっすよ。これから背負ってって下さい。」

「痛烈だなあ……。」

 施術の日、H子とは仕事の片手間にラインをしていたが、正午辺りになってラリーが途絶えた。きっと今頃、手術をしているのだろう。

 中絶の方法は、中学生の頃にみた性教育の図解で覚えていた。膣に器具を入れて搔きまわし、胎児をジェル状にして掻き出すのだ。想像を絶する苦しみだと思う。

 東北の片田舎から夢を描いて上京して、大学を卒業して就職して、無垢の少女がいつかどこの馬の骨ともわからぬ男とできた子を中絶する未来なんてどうして想像できただろう。

 H子の屈託のない笑顔には到底似つかわしくない不幸さに思わず、頭を抱えた。

 これから職場を早退しH子を新宿の婦人科に迎えに行く。そのときH子が寄りかかれるように、強い男として振る舞わなければいけない。だけど私はといえば職場のトイレに駆け込み、昼に食べたものを嘔吐した。

 手術の翌日から、H子は傷ついた身体を引きずりながらも出社していた。

 しかし世間は冷たかった。

 婦人科に通う為に急に何度も会社を早退し、手術の為に仕事を休んだことをサボりだと指弾された。だけど中絶のことを職場の人に弁明するわけにはいかなかった。施術による痛みを抱え動きが緩慢になっているところを、邪魔だと押しのけられた。

 人には誰しも語りたくない不幸がある。しかし他人が抱えた不幸には、誰もがお構いなしだった。日に日にH子が弱っていったとしても案ずるようなお人好しはいなかった。ただ心を壊してもう使い物にならないかもしれないから、新しく派遣さんを採用しなければならないんじゃないか、という酷薄でただならない噂が流れただけだった。

「手術が失敗して死んでしまえばよかった。」とH子が言い始めるのに時間はかからなかった。

 

 それから数週間経ち、カラオケの一室で歌いもせずにおれ達は七転八倒していた。 

 テーブルの上にはもう何社目になるのか、エントリーシートが散らばっている。H子と私は毎週末、朝から晩まで籠ってこんなものを書いていた。 

「あなたはどうしてこの業界を志望したんですか、だって?うるせえ、金だ、安定だ!決まってるじゃん!」

「ちょっとだっちゃん静かにして!いま名案が思いつきそうなの!」 

 数週間前までのH子は抜け殻のようだった。

「職場の居場所も、健康な心と身体もなくなっちゃった。本当は子供が生める身体だったのに、もう無理かもしれない。」

「手術の前、看護婦さんに『誰も迎えは来ない』って言ったら、看護婦さん哀れなものをみるような顔をしたの、忘れない。惨めだった。」

 H子は恨み辛みを口にした。

「だからね、だっちゃんが待合室にいたの、泣きそうになった。」

 そもそもYを紹介したのはおれだった。だからもっといえば、H子がおれと知り合わなければこんなことにもならなかったはずだ。そのことに思い至らないH子ではないはずなのに、そんなおれに恨み辛みが向けられることはなかった。

「エコーなんてどうしたらいいの。こんなの棄てられない。でも、持ってるのも辛いよ。」

「うーん…。辛いなら、預かるけど。」

 申し出るおれにH子は驚いたような、呆れたような声で言った。

「止めなよ、水子の怨念が籠ってるよ。」

「自分で言うなよ。おれは他人だから怨念なんか効かないよ。」

「だっちゃんって本当に変な人だよね。普通男って面倒臭いの嫌がるものなんじゃないの。」

「そうかな、別に面倒だと思わないよ。いや、きっとそういう面倒臭いものが欲しいんだよ多分。」

「最近、よく考えるんだ。だっちゃんが私の前に現れたのには、何か意味があるんじゃないかって。じゃあ、あの子はどうして私のお腹に降りて来てくれたんだろう。」

 降りて来てくれた、か。

 H子は日頃から子供が嫌いだ、要らないと口にしていた。それでも実際に妊娠を経験してからは、子供目線で語ることが増えた。女っていうのはそういうものなのだろうか。

 少なくとも彼女は自分で言うほど「母親になれるような器じゃない。」と思わない。

「ずっと自暴自棄に生きて来たからかな。私のこと戒めるために降りて来てくれたのかな。」

 結局、エコーはほとぼりが醒めるまで預かることにした。 

 病体を引きずって、職場で居場所を失って、H子の置かれている現状は楽じゃなかった。そういうものから逃れる為、H子は転職活動に没頭した。転職のことを考えているうちは、別の有り得る生活を思い描くことができるんだろう。エントリーシートの作成も面接の練習も、時間の許す限り付き合った。

 二人で一通エントリーシートをかき上げる度に、おれ達は大げさに喜んだ。少しでも不幸を忘れられるように。

面接の練習で、おれがおどけた質問をして、H子が思わず吹き出す。そんなことをする度に、彼女に息が吹き込まれ少しずつ生き返っていくように感じた。おれも必死だった。

「わたしね、色々考えたんだけど、だっちゃんと一緒に働きたいの。」 

 H子が思い切ったようにおれに切り出したのは、そんな日々を送って暫く経った頃だった。「やっぱ、ダメかな?」とはにかむH子に、かぶりを振った。

「もちろん、ダメじゃないよ。挑戦してみよう。」

 とはいうものの、おれの職場だって志望倍率は百数十倍は下らない。H子が採用情報を探してきて私の職場に狙いを定めてからおれ達は一層真面目に対策に打ち込んだ。

「どうして転職をしようと考えたんですか?」

「業界に特殊性がなくて自分の力を発揮できないと考えたためであります!」

「それはうちの業界も同じかと思いますが?」

「えっと、え~っと…やっぱりそう来る?」

「そう来る?じゃない。真面目に!」

 それからまた暫く経ったある日、会社から帰るとH子から電話がかかって来た。

「実はね、発表があります!何と、書類選考を通ったのです!次は役員面接だって!」

「お~!おめでとう!」

 選考の最大の難所はエントリーシートだった。これだけで、数十倍の倍率を突破したことになる。

「だっちゃんのおかげだね。」

「H子の実力だよ。」

 うん、といってH子が笑っていた。

「これでさ、本当に受かっちゃったら笑うよね。そんなこと、あるのかな」

「期待しちゃうじゃんね。」

「だっちゃんがいなかったら、私、独りだった。中絶のことだって、親にも言えないことだから。いつも、ずっと一緒にいてくれてありがとう。」

 電話口で泣き始めた。H子はあんなことがあっても、今日まで一度も泣いていなかった。 

「今度、いつ田舎に帰るの?」

 H子の父は、彼女が小さい頃に亡くなっていた。祖母の実家にある仏壇に手を合わせる為、H子は年に一度は帰省しいた。

いつか彼女が見せてくれた東北の町は見晴らしがよくて、ここで眠るのは中々悪くないと思った。

「そのときにエコー持っていこうよ。一緒に供養してあげよう。お父さんもきっと喜ぶよ。おれも一緒に行くから。」

「さすがに、あんなド田舎まで来て貰ったら悪いよ」

「悪いかな?あの辺調べたんだけど、けっこう温泉たくさんあるんだよね。温泉巡りしたいよね。」

 H子は笑った。

「ううん。悪くない。一緒に見て回ろう。」

 

 でも結局H子はうちの職場には受からなかったし、私たちがその話題を口にすることはもう二度となかった。

 

彼女ができて、人生がシンプルになった。

  先日やっとのことで彼女が出来てからというもの、精神的な負担が激減した。

 これまではとにかく女の子とのアポイントを中心にして生活しなければならなかった。とにかく家庭を持ちたい私にとっては、彼女がいなければライフステージが先に進まないからだ。

 毎週の空き時間を確認し、何人も同時並行でデートを取り付け、女の子それぞれの性格や基本的な情報、デートコースやお店の予約を確認する。予定の入らない日は街コンや合コンの予約を入れ、出会いを新規開拓しなければいけなかった。

 旧知の友人に男だけの飲み会に誘われても、女の子がその日が良いといえば空けておくほかない。デートに応じて貰えれば、何かが起こるかもしれないからだ。とにかく彼女を作る。その目的から見て意味のない付き合いをすることなんて私にはできなかった。そうして必死に女の子のために捻出した時間でさえ、女の子からは容易くドタキャンされるのだった。

 隙間時間は見込みのある女の子とのメールで埋められ、自分の為に割く時間は殆どない。痩せるとか、スキンケアとか、そういう合目的な自分磨きをする時間は作っていたけれど、楽しいものではない。合目的でないことをする時間はとてもなかった。

 それが、である。

彼女ができた今となっては、彼女1人を相手にすれば済む。

それこそ二桁人数と同時並行していたことを思えば、彼女の為に限界まで可処分時間を遣ったとしても必ず余剰が出て来る。

出会ったばかりの相手には食事代を奢らなければいけないし、一度食事に行けば少なくとも1日2時間程度は遣うだろう。

 時間的にも経済的にも相手が一人になったことで全く比較にならないくらいの気持ち的な余裕が生まれた。

 これまでは、これから付き合う相手の女の子がどんな家庭環境で、どのくらいの所得で、どういう性格なのか判らなかったから、リアルな将来を思い描くことができなかった(勿論、こうしたいああしたいみたいな無双だけはあったけれど。)。

 それが今は、実在する女の子がこの先を考えてくれると言ってくれている。しかも相手は私にとって凡そ現実的に考えられる限界クラスの女の子だと思う。

 それだけで将来が見通せるようになった気持ちになって安心する。

 あの辺に住むのかな、とか夫婦関係はきっとこうだろうな、とか乗る車はあの車種だろうな、とか子どもが生まれたらこう育てたいな、とかそういうことを考えるだけで楽しい。

  余計な可能性に目を配る必要がない。これからの人生について必要な思考や行動が整理された。婚活と違って人生設計は相手に帰寄する度合いが低いから、行動次第で人生に進捗している感覚がある。余分なことをする時間も増え、QOLが格段に上昇した。

 人生が全て好転している。あとは彼女と別れて全てが無に帰さないよう、慎重に行動するのみだ。

 仕事の為の勉強に費やし、睡眠時間を多目にし、美味しいものを食べに行き、こうしてブログを書く時間がある。それが本当に有難くて仕方ない。